李 洪 志
二〇〇二年三月
皆さん、こんにちは! (拍手)
しばらく皆さんとお会いしませんでしたが、皆さんに幾つかのことについてお話したいと思います。その後、もし何か質問がありましたら、どうぞ出してください。ついでに皆さんに解答します。
主に三つのことについてお話します。一つ目は、皆さんは法を学ぶことを重視すべきだということです。このことは私がいつも皆さんに話していますが、今日話す内容はこれまでとは違い、さらに大きな原因を皆さんに教えます。法をしっかり学ぶことは、すべての大法弟子にとって極めて重要です。なぜなら、皆さんは過去のいかなる修煉形式や、これまでの修煉者とは大きく異なっており、皆さんの使命が非常に大きいからです。宇宙の法はここで伝わっており、誰が法を聞きに来るのでしょうか? 法を聞いた生命はどういうことを行うのでしょうか? このすべてにさらに重大な意義があります。これまで、私は大法弟子が偉大であると言ってきましたが、実は皆さんが背負っている責任は相当大きいものです。以前から私と誓約を結んでいる学習者がいると皆さんは知っていますが、実は、非常に遥か遠く、非常に厖大なその他の天体大穹から来ている多くの学習者もいます。目的はここで縁を結ぶためです。また一部分は、今回大法を伝える時に入ってきました。門をすべて開いたことで、多くの根基が良い人も入ってきたからです。ですから、われわれ大法弟子には主にこのような三部分の人がいます。
皆さん考えてみてください。遥か遠い天体から来た生命は、何のためにここに来たのでしょうか? 宇宙で法が正されるため、彼らは遥か遠い天体大穹の中にいる非常に厖大な生命群を代表して、ここに師父と縁を結びに来ました。それは法を正す中で、宇宙全体が建て直される中で取り残されないためであり、目的はそこの衆生が救い済度されるためです。そこには厖大で数え切れないほどの生命群がいます。また、私と誓約を交わしてきた人も簡単な人ではなく、彼らも非常に大きな天体から来ています。もし次元が非常に高ければ、皆さん考えてみてください。それも相当厖大な天体を代表しているのではありませんか? また今回、法を伝える時に入ってきた学習者の多くも、次元が非常に高いのです。
先ほどお話したのは、誰が法を聞きに来るかということですが、もしこのような人が法を聞きに来ているのであれば、皆さん考えてみてください。大法弟子一人一人は、異なる厖大な天体を代表して来ているのではありませんか? もしそうであれば、大法弟子自身の修煉が良くできているか否かは、それらの厖大な天体にいる生命が済度され得るかどうかを、決めているのではありませんか? 皆さんに教えますが、それは間違いなくそうなのです。
その厖大な天体があなたの下にあるので、あたかもあなたの身体のようです。なぜなら、あなたはそれだけ厖大だからです。中には無数の衆生、数え切れないほどの宇宙穹体があります。皆さんの修煉は、それらの厖大な生命群が良いかどうか、残されるかどうかを決めています! 皆さん自身のこの世に現れている人身は、実はミクロから見れば、それも一つの巨大な系統です。この部分の身体は皆さんの修煉につれて、最初は病気治療と健康保持でしたが、徐々に身体は高エネルギー物質に転化します。表面上の変化は大きくないかもしれません。宇宙は法が正される中で、ミクロから表面に向かって突破していますが、大法弟子も修煉の中でミクロから表面に向かって変化しています。ミクロな身体は皆さんの修煉に従って、次元の突破が非常に速いのです。しかも絶対多数の学習者は、修煉を通じて表面上の身体はもうそれほど残っていません。次元が高ければ高いほど、あなたの責任も大きく、さらに厖大な天体とさらに多くの生命を代表しており、あなたはそこのために責任を負わなければなりません。つまり、皆さんの人間としての身体は、皆さんの絶え間ない修煉につれ絶えず改善され、ますます良くなり、同時に神の身体に転化していきます。もし皆さんの修煉が良くできていなければ、皆さんも目にしましたが、表面の身体の変化は比較的小さいのです。つまり、あなたが代表しているあの厖大な天体はあなたの身体と同じであり、対応しているのです。それでは、多くの生命はあなたの修煉が良くできていないため、済度されないかもしれません。あなたの修煉が良くできていないため、彼らは良くならず、あなたの多くの心が取り除かれていないため、彼らを妨害し、逆に彼らもあなたを妨害しています。
私はいつも法をしっかり学ぶようにと言っていますが、毎回の法会でまたは他のところで学習者に会ったときに、いつも法を学ぶことを必ず重視しなければならない、いくら忙しくても法を学ばなければならないと言っています。当時、私はこれほど高く奥深いことを話してはならず、またこのことをすべて明らかにしてはいけませんでした。今回の魔難を経て、皆さんはさらに深く法を認識することができ、修煉と法を実証する中でさらに成熟しました。今日、皆さんに教えてもいいのですが、皆さんの修煉は決してただ個人の圓満成就のためではなく、皆さんの修煉は皆さんに限りない希望を託し、皆さんと対応している天体にいる無数の衆生を救い済度しているのであって、皆さんの修煉はすべての厖大な天体大穹にいる衆生を救い済度しているのです。
なぜ、私は大法弟子の修煉が昔の修煉と違うと言ったのでしょうか? 私は大法弟子が偉大であると言いましたが、もし皆さんの修煉が非常に良くできていれば、それこそ本当の偉大な圓満成就です。大法弟子の圓満成就は、ある普通の生命が三界を出れば済むようなことではありません。皆さん考えてみてください。あなたの修煉が良くできれば、その厖大な宇宙で悪くなる生命は少なく、淘汰される生命も少なくなります。あなたが戻るときに、彼らは本当にあなたを自分の主、自分の王とみなし、限りなくあなたを敬慕します。なぜならば、あなたは彼らを救い済度し、彼らのために力をつくし、彼らにすべてを与えたからです。もし、皆さんの修煉が良くできていなければ、多くの生命は淘汰されます。なぜなら、救いようのない生命は淘汰されなければならないのです。なぜでしょうか? 今回の迫害の中で異なる空間の生命は、良いものも悪いものも作用しているからです。良くない生命は法を正すことを妨害し、学習者を迫害しており、同時にあなたをも妨害しているため、厳粛に根絶しなければなりません。修煉が良くできていなければ、多くの生命が淘汰されることになり、あなたは圓満成就して帰位したとき、当初、あなたに無限の希望を託したそれらの生命の多くが、淘汰されてしまったことに気づくでしょう。そうなると、この宇宙大穹の中で、あなたが代表している天体は、不完全なものになっている可能性があります。そこの無数の衆生が淘汰されてしまったからです。
皆さん知っているように、今回の迫害の中で、多くの学習者ははっきりと認識することができず、これは常人が人間に対して行う一種の迫害だとみなしています。実は今回の迫害は、完全に旧勢力が按排した大法弟子に対する未曾有の邪悪な試練であり、旧勢力に利用された邪悪な生命は真相を知らされないまま、それらは本当に破壊しています。私はこの一切の按排を認めませんが、それらはやはりやってしまいました。それらが歴史上に按排したすべてを私は一切認めず、法を正す中でもそれらを徹底的に否定しています。ですから、今回の衆生に対する迫害の中で、私たちは人々に真相を伝え、同時に自分を良く修め、正念の中で邪悪を根絶すべきです。私たちはそれらのすべてを認めませんが、今回の迫害の中でそれらが行なった悪辣な誹謗中傷は、無数の衆生を毒害しました。
もし、今の世の絶対多数の人々が、本当に高い次元から法を得に来たのであれば、皆さん考えてみてください。彼らは単なる一つの生命ではありません。一つの如来佛はすでに一つの厖大な生命群を代表しています。如来にとどまらず、この世に下りる者はみな非常に能力があり、多くの天体の王、主が来ており、彼らは厖大な天体を代表しています。しかし、彼らは常人社会に入ってここで迷ってしまい、ひいては今回の迫害の中で大法への迫害にも参与しました。もしこのような人が消滅されたら、皆さん考えてみてください。彼自身が消滅されるだけでなく、消滅されるのは一つの厖大な天体です。
私は大法弟子が素晴らしいと言っていますが、これほど厳しい迫害の中で、皆さんはまだ世の人々に真相を伝え、衆生を救い済度しています。皆さんが救い済度したそれらの生命は、皆さん考えてみてください。それはただ普通の一人の人間なのでしょうか? もし彼が本当に厖大な天体と対応しているのであれば、彼に真相を伝えたとき、あなたが救ったのは一つの厖大な天体であり、厖大な生命群であり、一人の主であり、一人の王です。ですから、大法弟子は偉大ではありませんか? 大法弟子が遭遇することは、どれも非常に大きなものです。昔、衆生を普く済度すると言っていましたが、救ったのはただ一人の非常に小さな個人であり、普通の常人でした。そのようなことは大法弟子がするに値せず、私の大法弟子がする必要はありません。皆さんが行なっていることはすべて相当大きいことです。今日の迫害の中で、一人の普通の常人が「法輪功を迫害しないでください、法輪功は素晴らしいのです」と他の人に教えたとしましょう。その人が大法弟子を迫害せず、ひいては将来に残って法を得るかもしれませんが、もしその人が元々、高い次元から法を得に来た者であれば、彼の修煉は速く進みます。それでは、皆さん考えてみてください。彼の圓満成就はある巨大な生命群の圓満成就であり、一人の王、一人の主の圓満成就です。しかし、彼の圓満成就の機会は一人の常人によってもたらされたのであり、この常人、一人の普通の常人も大きな神になります。ましてや、私たち大法弟子はこれほど大きな、偉大なことを行なっており、救い済度しているのは一人や二人にとどまりません。さらに積極的に世の人々に真相を伝え続け、絶えずこのように行い、より多くの生命を救い済度しており、偉大ではありませんか?
以前、個人修煉の圓満成就は、大法弟子にとってたいしたことではないと私は話したことがあります。それはただ、修煉の過程で大法弟子が自らの基礎を築いているだけで、さらに大きなことをするための準備なのです。もし個人の圓満成就を頂点だと思っていれば、それは法を正す時期の大法弟子になる資格はありません。法を正す時期の大法弟子とは何でしょうか? 全世界に実は七十億人がいると私には分かっています。大法弟子すべてを合わせても、当初はただ一億人にすぎませんでした。これはどういう比率でしょうか? それらの人は法を得ることができないのでしょうか? 次の段階において人間はまた修煉し、圓満成就する人もいますが、それはただの個人修煉にすぎません。第一段階で法を得たのは「法を正す時期の大法弟子」と呼ぶのです。皆さんは法を正す時期を共にし、大法は皆さんに偉大な責任、使命を賦与しました。それに対し、将来法を得る人は、ただの個人修煉にすぎず、このような栄光がなく、このような偉大なことに巡り合うことができません。ですから、衆生を救い済度することは非常に素晴らしいことではありませんか? 非常に偉大ではありませんか? 実はこれも非常に緊迫しているのです。
先ほど、もし私たちの修煉が良くできていなければ、将来の圓満成就は私たち大法弟子にとって、ただ、胸の痛い話で済むようなことではないと話しました。修煉が良くできた人は、元の世界に戻ったら本当に完全な圓満成就になり、彼に限りない希望を託した衆生はみな、彼に救われます。一方、修煉が良くできていない人が戻ったら、その宇宙は破損して不完全なものになります。今回の迫害の中で、反対の方向へ走ってしまった人、ひいては非常に良くないことをした人、皆さんに教えますが、師父は彼らも見捨てたくはありません。(拍手) 彼らは表面のすべてを、もう持ち帰ることができません。彼らがよく修煉できず、しっかり行うことができなかったため、それらの巨大で大勢の生命はみな、だめになりました。私は旧勢力の按排と今回の迫害を認めません。表面と大法弟子の本質は旧勢力によって隔離されているため、大法弟子は多くのことに対して為す術もありません。しかし、表面が邪悪生命に操られ、動かされて悪事を働いたのは、執着心があるために邪な生命に利用されたからです。ですから、私は大法弟子の本質を抽出します。一方で、大法弟子の表面が悪事を働くように操り仕向けた旧勢力と、大法に直接迫害を加え、それらの旧勢力に利用された邪悪生命はみな、果位と一切の能力を削り取られ、それらに迫害された大法弟子の業力と、各種の後天的な観念によって構成された、その部分の人身の中に打ち込まれるのです。この部分の人身、つまり、それらに利用されたその部分の人身は、元々新陳代謝の中で取り除かれるものであり、打ち込まれた後に一緒に地獄に堕ちます。なぜならば、本当の悪事は旧勢力が邪悪な生命を利用して、人間の業力と観念を操って行なったからです。私は弟子を当初来た時のままに戻らせますが、彼らは何も持ち帰りません。そして、戻ってから、彼が代表した厖大な天体はすべて空になり、元々あったすべての生命もなくなります。なぜなら、彼の修煉が良くできていないため、すべてが悪くなり、淘汰され、再び造り直すしかないからです。ですから、個人の修煉の中で絶えず法を学びつづけるのは、非常に重要なことです。皆さんが法をしっかり学ばなければ、大法のことをするとき、多くのことに正しく対処することができず、きちんと行うこともできません。もし、しっかり法を学んだなら、多くのことは行いやすくなり、同時に問題も起こりにくいのです。ですから、いくら忙しくても法を学ばなければなりません。
先ほどお話したのは一つ目のことです。二つ目ですが、つまり私たちは真相を伝えることを重視しなければなりません。真相を伝えることは大法弟子にとって本当に重要であると、皆さんははっきり分かるべきです。あなたはただ個人の修煉をしているのではありません。あなた個人の修煉は自分が代表している厖大な天体の中の生命を救い済度しているのです。真相を伝える中で、あなたはさらに多くの、ひいてはさらに大きなその他の厖大な天体、およびその天体の中の生命を救い済度しており、それは大法と歴史が皆さんに賦与した責任だからです。先ほどすでにお話しましたが、もし世の中の多くの生命がみな、相当な由来を持っている人で、彼らが何らかの王や主、非常に大きな天体の神であれば、彼らが代表しているのは、非常に大きな天体と大勢の生命群です。あなたが彼を救ったのであれば、皆さん考えてみてください。あなたは一人の神を救ったのではありませんか? 非常に次元の高い神であるかもしれず、しかも、彼はさらに厖大な天体と無数の衆生に対応しています。それはどういう威徳なのでしょうか? これは簡単なことでしょうか? 大法弟子だけがこれほど重要な使命を賦与されているのです。
ですから、個人の圓満成就は皆さんにとってたいしたことではありません。歴史上、皆さんは幾度となく修煉したことがあり、多くの時期にこのような道を歩んだのです。現在、皆さん個人の圓満成就の基準に対する試練は、全くたいしたことではなく、それは大法弟子が法をどれほど把握したかに対する判断基準です。皆さんの個人修煉の圓満成就の過程は、実は将来法を守り、法を実証するための基礎を築いており、なぜならば、皆さんはある程度の素質が備わり、法に対して深く認識し把握しなければならないからです。同時に、皆さんの個人修煉の過程で、皆さん個人が到達できる基準を完全に満たさなければならず、そうしてはじめて、肝心な時に真に大法を実証し、大法弟子として行うべきことを行うことができるのです。ですから、大法弟子の責任は、個人の圓満成就のためではなく、法を実証する中で衆生を救い済度するためです。これこそ、大法弟子の歴史的使命であり、真の大法弟子の偉大さです。
皆さんに教えますが、実は世の人々は、当初、神によって造られた時、人間の皮の中はその人の主元神でしたが、近代になって徐々に他の空間に留まり、転生してこの世に来ないようにさせられています。この人間の皮の絶対多数は、高次元の生命によって占められました。つまり、彼らが法を得に来るには、この皮を使わなければならないからです。その中に大法弟子も含まれています。ですから、真相を伝えることは非常に重要なことです。
もちろん、多くの学習者は黙々と大量の真相を伝える仕事をしています。チラシを配ったり、電話をかけたり、インターネットを利用したり、領事館に行ったりして、また各種の媒体を通じて、世の人々に大法の真相を伝え、邪悪の迫害を暴露しています。中国国内の学習者はさらに素晴らしいのであって、極めて強い邪悪による圧力の下で、法を実証し、衆生を済度しています。みな素晴らしく、偉大なのです。しかも、皆さんはみな非常に積極的に行なっています。厳寒酷暑や大雪、大雨に関係なく、世の人々の態度がどうであろうと、いくら難しくても、みな行い続けています。このすべては師父に分かっています。私はこれらを目にして、嬉しく思っており、皆さんが自ら進んで行うべきことを行なっていると分かっています。大法弟子全体はこのように行なっています。もちろん、精進していないごく僅かな一部の人や、認識が足りない人も少しいますが、彼らはこの非常に良い主体を代表できず、主流ではありません。しかも、表に出てきていない人たちも相次ぎ出てきています。私は幾度となく皆さんの行なったすべてを評価しました。つまり、大法弟子はほぼ法を正す要求に従って行なっています。このすべてに問題はなく、しかも非常に素晴らしいのです。
先ほど、二つのことについてお話しました。三つ目は正念を発することです。これは大法弟子が目下行うべき三つのことです。正念を発するということは私たち大法弟子にとって、それも非常に偉大なことです。一九九九年の「七・二〇」以後、大法、大法弟子、および世の人々に対する天地を覆い隠すかのような迫害は、歴史上前例のないものです。歴史上のキリスト教、佛教、およびその他の宗教に対する迫害は、ここまで邪悪にはならなかったのです。その時、これほど厖大なメディアがなく、交通手段も発達していなかったため、迫害はただ非常に狭い地域に限られていました。今日、中国の面積は広く、害された衆生も多いため、中国だけで十数億人が直接被害を受けています。しかし、今回の迫害は中国大陸に留まることなく、実質上、全世界的なものであり、虚言によって全世界の人々が毒害されました。同時に、天地を覆い隠すかのような誹謗中傷と世論は、大法弟子にとって巨大な圧力となりました。さらに深刻なことに、これらの誹謗中傷によって全世界の人々が毒害されました。これは宇宙の法であり、すべての生命を造成した法であり、ある生命の頭に大法に対して良くない考えが入っていれば、皆さん考えてみてください。現在、法を正す中で、すべての生命はみな、法を正すことに対する態度によって、その生命が残されるか、取り除かれるかが決められているため、この生命は法がこの世を正す時に、残ることができるのでしょうか? 法がこの世を正すことが始まったら、すぐ淘汰されます。ですから、これは全世界、全人類に対する迫害ではありませんか?
大法弟子は素晴らしいのです。迫害が始まった時、皆さんはこのようなことにぶつかったことがないため、心理的な準備ができておらず、どうすればよいか迷ってしまいました。その後、だんだん冷静になり、みな徐々に表に出て法を実証するようになりました。今、皆さんはさらに理性をもって今回の邪悪を暴露し、衆生を救っています。今、私たちはほぼ全世界のすべての政府、全世界の絶対多数の人々に、法輪大法の素晴らしさや、罪のない私たちが迫害されていること、中国の邪悪な首魁の醜さと極悪な変態した面相を分からせ、その政治のならず者集団の邪悪さをはっきりと認識させることができました。私たちが直面しているのは、極めて邪悪な政治のならず者である統治者が操っている、厖大な国家宣伝機関です。私たちは、全世界の人々に迫害の真相を分からせ、でっち上げと誹謗中傷に毒害された世の人々を救うことができ、これは素晴らしいことであり、本当に素晴らしいのです。中国大陸の弟子は厳しい圧力の下でも、なお、このように行なっており、中国人を目覚めさせたのです。全世界の人々を目覚めさせ、みなこの迫害の邪悪さが分かり、誰もそれに従わず阻止しているのであれば、邪悪はまだ持ちこたえられるでしょうか? 実は迫害を操る邪悪な要素は現在、すでに非常に少なくなり、大法を試練するにはすでに足りなくなったと旧い勢力は思っています。大勢がもはや挽回できなくなったと邪悪にも見えており、大法は永遠に消滅されることはありません。
皆さんはまだ覚えていると思いますが、皆さんが正念を発し始めた頃、大法弟子を迫害するそれらの邪悪な生命は、すぐ列を作り陣立てをし、太鼓を打ちながらやって来ました。皆さんが一定の期間を経て、正念を発することによって、これらの邪悪な要素が大量に根絶され、今、皆さんが正念を発するときに発せられた功は、あちこちに行ってそれらの邪悪なものを探さなければなりません。大法弟子が掌を立てるとすぐに、邪悪生命は逃げてしまいます。大法弟子が真正面から悪人を直視すれば、悪人はすぐその目線を避けてしまいます。なぜなら、悪人を操る邪悪生命は正念を恐れて逃げてしまい、少しでも逃げ遅れたら、大法弟子の正念によって瞬時に根絶されると分かっているからです。ですから、邪悪は現在、中国の邪悪の中心に向かって絶えず収縮し、全世界の他の地域にある人間の考えを制御する邪悪要素は、すでに最終的に根絶されつつあります。
一九九九年「七・二〇」が始まったばかりの頃を覚えていますが、全世界の多くの地域の人は大法のことについて全く知らず、急にこれほど大規模な弾圧が中国に現れ、一体どういうことなのかと思いました。全世界のマスコミはみな、デマを作り上げる中国のマスコミの宣伝を引用し、当時の圧力は非常に大きなものでした。もちろん、これはただ形式上の圧力であり、さらに本質上の圧力もあります。この形式上の圧力でさえも、かつてなかったことです。皆さんはこのような圧力に耐えながら、このすべてを今の程度まで正すことができて、本当に素晴らしいのです。
当時、宇宙の中の淘汰されると運命付けられた邪悪な要素が、上からのしかかってきた時、非常に大きなもので、三界全体、各層の粒子が構成した空間にぎっしり詰まり、全宇宙の邪悪がみな、のしかかってきました。これほど大きなものが、人類、三界にのしかかりました。皆さんも見ましたが、当時、マスコミで報道された地球の写真は悪魔の顔のようであり、それはただ地球の表面の一層の空間だけでの現れです。法を正すことがなければ、三界内の生命は誰一人として生きることができません。なぜなら、そのものは相当厖大な天体まで消滅させることができるからです。法を正す勢いがのしかかってきたすべてのものを消滅した時、全体的に人間の思想を抑制していた要素が取り除かれ、形勢に大きな変化が起こりました。今まで真相を伝えたとき、多くの人は全く耳を貸そうとせず、しかもその態度は非常に悪かったのです。これらのものが消滅された時、再び真相を伝えに行くと、人々は受け入れやすくなり、耳を傾けるようになったのです。しかし、まだ理性的ではなく、なぜなら、三界内に潜り込んだ邪悪な生命がまだ人間を操っており、大法に対して良くない考えを持っている人間を操っていたからです。デマを捏造するマスコミの宣伝による影響を受けたため、このような人は相当多く、当時、私たちにとって大きな圧力となり、しかも多くの邪悪な生命は非常に低かったのです。このような情況の下で、皆さんに正念を発するようにと教え、正念を発する中で、人間を操る邪悪な要素を根絶し、根本から世の人々を目醒めさせたのです。
法を正す全過程の中で、私の功はミクロから表面に向かっています。実は速度は非常に速いのですが、後で法を正すことの速度について話します。法を正す勢いが人間の表面までやってくるまで、つまり法を正すことは絶えず表面に向かってきていますが、表面のところで法が正されるまでの間、この間に邪悪な旧勢力はそのすべてを現しており、最も邪悪で、最も底辺のそれらの奇怪な形をしている生命を利用し、大法や大法弟子を迫害しています。大法弟子も法を正すことがやってくるまでの間、法を実証し、衆生を救い済度しています。すべての現れはみなこの間に起きています。
法を正すことが徹底的に完了するまで、残されたこの部分の空間においても、法を正す勢いは引き続き貫かれています。ただし、法を正す勢いが表面空間にやってくるまで、表面空間の中に宇宙の旧い法、腐敗した法がまだ存在しているため、この旧い法は、法を正すことがまだ到来していない旧い空間の中のすべての生命を制約しています。もし、この旧い法をあまり早く壊滅させてしまい、つまり法を正すことがやってくる前に旧い法を壊滅させてしまえば、皆さん考えてみてください。それでは深刻な問題が起きます。つまり、宇宙の上下、横方向の空間、縦方向の空間、すべての空間が乱されてしまい、宇宙の中のすべての時間が存在しなくなり、一つの最大の空間となり、最も速い時間となります。旧い空間の中のすべての生命は最も速い時間の中で、最も速い速度ですべて爛れ、すべての物質は直ちに腐り、残っている法がまだ正されていない旧宇宙の表面のすべてはおしまいになり、直ちに解体してしまいます。旧宇宙のまだ法が正されていないこの表面も、無数の厖大な空間、無数の衆生、無数の神によって構成されているため、法が正されるまでそれを壊滅させてはなりません。さもなければ、そこにいる衆生は法が正されることがやってくる前に解体されてしまい、救い済度されなくなります。師父は皆さんと世人を救い済度しているだけでなく、それらの高次元の生命をも救い済度しています。旧い生命には新宇宙の様子が見えず、しかもそれらに見させないので、それらはこの旧い法理に従ってこの旧い宇宙のすべてを守っています。ですから、私は新宇宙の基準をもってそれらに要求していますが、それらはそれが見えないので承知しません。法を正す中で、旧い法は実は私と大法弟子を妨害する作用をしています。私はそれを壊滅することができます。先ほどお話しましたが、衆生を救い済度するためにそれを壊滅させてはならず、いざ壊滅させてしまうと、これらの生命は済度されなくなり、この部分の天体にいる衆生はすべておしまいになります。しかも私たち大法弟子の主体はまだここにいるので、救い済度することはさらに難しくなります。
ですから、多くのことは簡単に見てはいけません。この旧い法を破らなければ、法を正すことに困難をきたしますが、この法を破ってしまえば、衆生を救い済度することに深刻な結果をもたらしてしまいます。大法弟子は正念を発し、邪悪が皆さんに加えた迫害を根絶していますが、正念が純正であればやってもいいのです。旧い法理もこのような理です。これは正念をもって修煉に対処し、正念をもって衆生を救い済度することと同じ道理です。ですから、皆さんはこのことを行うことができます。もし師父が皆さんの代わりにやってしまえば、この旧い法理と旧い神は承知しません。なぜならば、多くのことは私が皆さんのためにやりましたが、これ以上多くやってしまい、あるいはすべて引き受けてやってしまえば、この旧い法理と旧い宇宙の生命がそれを見たら、きっと承知しません。皆さんのすべてを私が引き受けてしまえば、大法弟子自身が修煉していないとそれらは思ってしまうので、立ち上がってこのことを阻止します。
もちろん阻止されても、私はそれらを片付けることができますが、このようにして良いのでしょうか? 多くのことはそれほど簡単ではありません。例をあげてみましょう。きちんと行なっていない中国国内の一部の学習者が捕らえられ迫害されたとき、凶悪な警官は彼らをひどく殴っています。しかし、その時、一部の学習者は正念が足りないため、受けた迫害はさらに深刻なものでした。邪悪が彼を殴ったとき、彼は自分が大法弟子であることを忘れ、師父に助けを求めようと思いつかなかったのです。また、一部の学習者が師父に助けを求めるときも、強い恐怖心を抱いています。多くの人は殴られて非常に痛いとき、「お母さん、お母さん」と叫んでいます。完全に今回の迫害を常人の人間に対する迫害とみなしてしまいました。この時、私がその学習者を守りにいけば、旧勢力は承知しません。それらは旧い宇宙の理を守っているからです。それが宇宙の唯一の理だと思い、それらに新宇宙が見えないからです。「これがあなたの弟子ですか? 彼はあなたを師父としたのですか? 彼は自分を修煉者とみなしたのですか? 彼に正念がありますか? 彼は生死を放下したのですか? 彼は金剛不動になったのですか?」とそれらは言うのです。その時、師父は本当にそれらに詰問され、返す言葉がありません。もちろん、一時一世の現れで、その学習者がもう私の弟子でないとは言えません。それらも分かっており、「彼を殴る目的は、彼に正念が出るようにするためです。彼はあなたさえ認めておらず、自分を大法弟子ともみなしていないからです」と言うのです。
ですから、時に師父は本当に何も言えません。しかし、宇宙で法を正しているため、私は根本から今回の迫害を認めておらず、邪悪な生命を操り利用する神と邪悪な生命を一緒に徹底的に根絶することができます。次元がいくら高くても、誰が殴ったとしても、誰が操り利用し按排したかにかかわらず、私はそれらを手に掴み壊滅することができます。ここに座っている師父は一人の常人ですので、あなたは私を常人とみなせばいいのです。しかし、師父の他のすべての空間にある身体は、とてつもなく巨大で、一層一層大きくなり、宇宙がいくら大きくても、私より小さいのです。(拍手) しかし、皆さん考えてみてください。もし私がこれらの生命を壊滅してしまえば、旧い理と法が正されていない厖大な表面の宇宙空間の中にいる生命はそれを見て、「あなたは何をやっているのですか?」と言うのです。それらは一斉に立ち上がって攻撃し、私と対立してしまいます。それでも、私はやはりそれらを消滅することができます。いくら多くやって来ても、私はそれらを片付けることができ、それらの果位を削り取って地獄に落すことができます。皆さん考えてみてください。私は衆生を救い済度しに来ましたが、それらの神も生命ではありませんか? それらはさらに高次元の生命であり、より済度すべき生命なのです。しかし、この大法弟子の現れが大法弟子らしくないのに、私が彼のために無数の、さらに無数の神を消滅したら、皆さん考えてみてください。これは正しいのでしょうか? 正しくないのです。ですから、皆さんに教えますが、一部のことに対して師父も持て余しています。師父の能力が足りないのではなく、すべての衆生が済度されるためです。皆さんが正しく行うときに、師父は何でもやってあげることができます。もし皆さんが本当に正念が強く、生死を放下することができ、金剛不動になれば、邪悪はあえて手を出すことができません。このような人を死なせない限り、どんなに迫害しても効果がないとそれらは分かっているので、邪悪もあきらめてしまいます。もし、このような情況下でも、邪悪がまだ迫害しようとしたら、師父はそれらを許しません。師父に無数の法身があり、さらに私に手伝っている無数の正神も直接邪悪を根絶するのです。以前、すべての大法弟子がみな、天龍八部によって守られていると皆さんに教えたのではありませんか。皆さんがきちんと行なっていないため、神々は旧い宇宙の法理に制限され、焦るばかりでどうすることもできないのです。
それでは、旧い勢力は一体、私とどういう関係なのでしょうか? このことについてお話します。実は、これらの旧い勢力は、厳密に言えば、それらも法を正すことを壊滅させるために行なっているのではなく、それらはそういう勇気もありません。それらの目的は不純ですが、法を正すことを成功させようとしています。ただそれらはこのすべてをそれらの要求に従って行い、それらの要求に従って法を正そうとしていますが、それは絶対許されません。なぜならば、宇宙の中の生命はすべて腐敗しており、それらの生命を構成した本源的な要素まで不純になり、要素の要素まで不純になったからです。これは、それら自身も気づくことのできないことであり、どんな方法を用いても自分自身を純粋で正しくすることができません。それら自身も法を正すことの要求と新宇宙の基準に到達することができないのに、どうして法を正すことができるのでしょうか? それらの要求どおりに法を正すことがどうしてできるのでしょうか? 法が正されて生まれた新宇宙が、旧宇宙の生命の基準と要求に従って造られたのであれば、それはやはり旧宇宙ではありませんか? 表面は変わりましたが、本質は変わっていないのではありませんか? 旧宇宙のすべての衆生は、宇宙が先天の最も純粋で正しい時に、どのようなものだったのかを全く知らないので、どうしてそれらの要求に従って行うことができるのでしょうか? ですからそれらを認めてはいけません。しかし、それらは成、住、壊、滅という旧い法理の中で解体されたくないため、本能的に自らを救おうとしています。それらがこのことをする時、宇宙の最も次元の高い生命から、最も次元の低い生命までもが参与しており、一つの整った系統が上から下まで、すべての次元において、それぞれ20パーセントの生命が参与しています。また、すべての次元は法を正すことについて、どのように私に手伝うかを具体的に按排しています。しかし、すべての次元の生命はみな不純であり、最後のその生命まで不純になりました。私に手伝っていると同時に、それらは自分を守るという私心を隠しており、皆が他人を変えようとしていますが、自分を変えたくありません。みな自分に触れたくなく、ひいては自分が執着して放さないものを最大限に守っています。全過程で、それらは多くの非常に良くないことをしました。その中の一部はそれらがわざとやったのですが、それが悪いことであるとそれら自身が認識できなかったこともあります。ですから、それらが行なったすべては新宇宙の基準に到達することができず、この旧宇宙の初期の基準にも到達していないため、新宇宙の基準までなおさらほど遠いのです。新宇宙は一体どういうものなのか、それらは知る術もありません。この肝要な時に、法を正すことに対する衆生の態度はみな衆生の未来を決めています。つまり、法を正す中で一切の生命を試し、新たにそれらの位置を配置し直しており、その中には淘汰されるものも含まれています。ですから、新しい宇宙がどのようなものか、それらが知ることは許されず、法を正した後のすべてと、それらが按排したすべてとは根本的に異なるのです。
ここでまず、時間についてお話します。実は法を正すことの時間は非常に速いのです。天体の外で新しい宇宙のすべてを造るなら、それは手を振るぐらいの時間でできることであり、これほど速いものです。これは一つの喩えですが、確かに手を振るぐらいの時間で完成します。これほど速いのです。それでは、なぜ私は十数年をかけてこのことをしてきたのでしょうか? 実は宇宙の中に異なる空間があり、異なる空間にまた異なる時間があります。宇宙の中には、大から小まで、無限のミクロから無限のマクロまで無数の粒子があり、すべての粒子の上にみな一つの独自の時間があり、すべての時間にまた長さの違いがあります。さらに、粒子と粒子が構成したそれぞれの大きな世界や小さな世界の中に時間があり、粒子と無数の粒子が構成した更なる厖大な天体の中にまた時間があり、同じ次元の粒子全体が存在している厖大な粒子群に、またさらに厖大な時間があります。宇宙の中の時間は宇宙の生命のように多く、計り知れず、しかも宇宙の全体にまだ一つの全般的な時間があります。その中に各空間で具体的に作用している無数の、さらに無数の時間があり、このすべては異なる空間にいる衆生の存在方式のために造られたものです。ある空間では、時間が非常に速く、ある空間では、時間が非常に遅いのです。先ほどお話した各空間での時間の速さという話は、話し始めてから今まで、私と同時に進んでいる空間もあれば、すでに数日か、数万年も過ぎた空間もあれば、数億年、数兆年も過ぎた空間もあり、これほど速いのです。宇宙はあまりにも厖大なので、中の粒子は無限にミクロであり、無限にマクロであり、それぞれ独自の時間が存在しています。皆さん考えてみてください。宇宙全体がいくら広くても、宇宙のあらゆる時間の概念の中で行わず、すべての外でこの法を正しており、宇宙の時間の外側で行い、いかなる時間にも制限されません。宇宙がいくら大きくても、時間がいくら多くても、天体の外で、手を振る間に完成してしまい、この速度は宇宙の中の最も速い時間よりも速いのです。しかし、皆さん、このことを考えたことがありますか。つまり、この手を振っている間にすでに数億年が過ぎたところもあるのです。
人類のこの空間はまだ良いほうです。法を正してからただ十数年で、一九九九年「七・二〇」から現在までただ二年あまりで、数えで四年目ですが、私が法を正すのは十数年の時間にすぎません。皆さん考えてみてください。それは非常に速いのではありませんか? 実は非常に速いもので、このように手を振っている間にこのすべてを完成させましたが、人類の空間で現れた時間の差異は十数年です。しかも法を正してから、宇宙の全体の時間は速められています。一九九九年七月以前、一日は昔の一秒でした。今も絶えず速められていますが、現在の一年はおよそ昔の一秒です。これはまだ平均値であり、今もなお速められています。
皆さん考えてみてください。これほど速い速度ですが、あなたの生命全体の歴史の中で、あなたの生命の永遠の中では、何ものでもありません。将来、この時期を振り返ると、ただの一瞬で、何でもありません。皆さんは当初、この迫害の中で一日が一年のように感じていましたが、今のこの時にも、「いつ終わるのでしょうか? この迫害の終わりはいつなのでしょうか?」と考える学習者がたくさんいます。ですから、師父が詩の中で春がもうすぐやって来ると書いたので、(皆笑って)春で終わるのではと考える人がいます。以前、私が詩の中で秋も書いたので、(皆笑って)きっと秋に終わると思う学習者もいます。秋が過ぎましたが、終わっていないので、がっかりしたような気持ちです。皆さん考えてみてください。これは常人の心でこのすべてに対処しているのではありませんか?
一人がこのように思い、二人がこのように思い、三人がこのように思っても、たいしたことではありません。もし大法弟子全体のさらに多くの人がみなこのように思うなら、それは一つの強大な心、強大な障碍ではありませんか? あなたはこの時間をきちんと利用しておらず、早く終わるようにと望んでいます。皆さん考えてみてください。もし今日で終わってしまえば、中国でどれくらいの人が死んでしまうのでしょうか? 多くの人がさらに大きな天体の無数の生命と対応していますが、すぐ終わってしまえば、どれほどの生命が淘汰されてしまうのでしょうか? 私たちが彼らの頭にある宇宙大法を敵視する邪悪な考えを取り除くことができず、彼らの多くがまた厖大な天体を代表していますが、彼らが淘汰されることによって、彼らと対応している宇宙でどれほどの生命が死んでしまうのでしょうか? どれほどの生命が淘汰されてしまうのでしょうか? 皆さんはこのことを考えたことがあるでしょうか? 皆さんは大法弟子であり、歴史は皆さんに偉大な責任を賦与しました。私たちはこの時間をしっかりと利用すべきであり、まだ終わっていなければ、これはすなわち衆生を救い済度する機会です。時間があまりないので、一旦法がこの世を正し始めたら、人間のそれぞれの置かれるべき位置は決まってしまいます。私たちは旧勢力の按排を認めませんが、皆さんはこの間に自ら錬磨し、大法弟子の威徳を樹立しました。大法弟子は大法が迫害に遭っているとき、まず考えなければならないことは衆生を救い済度することであり、いかに大法を実証するかということです。これは偉大ではありませんか? 今回の邪悪の按排を私たちは全く認めませんが、なんと言っても迫害が現れ、邪悪がこれほど多くの衆生を迫害したので、私たちは時間を無駄にしないで、彼らを救い済度することをまず考えるべきではありませんか? それを常人が人間に対する迫害だとみなし、「いつ名誉を回復してくれるのでしょうか? いつ終わるのでしょうか?」と常人の心を抱いて物事を考えていますが、皆さん考えてみてください。このような考えは大法弟子が抱くべきことでしょうか?
時間が長くなることを恐れないでください。皆さんに教えますが、キリスト教は迫害されて三百年後にやっと普及しました。重大な使命を持っている大法弟子は、普通の修煉者にも及ばないのでしょうか? 大事なのは私たちがどのように物事を認識するかです。皆さんにお聞きしますが、もし衆生を救い済度することがまだ十年かかるのであれば、皆さんはやりますか? (学習者は口をそろえて、「やります!」と答えた)(拍手) これこそ大法弟子です。(拍手) もちろん、まだ十年あるということはあり得ませんが、そこまで長引くことも許されません。それらの寿命もそれほど長くありません。
しかし、肝心なことは大法弟子がどのように物事に対処するかです。一人がこのように考えても、二人がこのように考えても問題ではありませんが、もし大法弟子がみな、このように考えていれば、それは問題になります。皆さんはまだ覚えているでしょうか。一九九九年「四・二五」以前、中国のあの首相は大法を認めたことがあったのではありませんか? 四月二十五日、学習者が上申した時に、彼は大法弟子に接見し、しかも非常に良いことを言いました。そこで、今回の破壊が始まってから、一部の学習者に多くの常人の心が生じ、「中国大陸のあの邪悪の首魁は早く死んだほうがいい、彼が死んで、あの首相がその地位につくことができれば、大法の名誉が挽回されるのではないか?」と思ったのです。皆さん考えたことはありますか。これは宇宙の法であり、人間が迫害を加えようと思えば迫害でき、名誉を回復させようと思えば回復できることでしょうか? 人間にその資格はありません! なぜ、希望を一人の常人に託し得るのでしょうか? 皆さんは大法弟子なのです! 一人の大法弟子はすでに非常に厖大な空間を代表しています。人類は何ものでもなく、ただ旧勢力はそれを利用して、皆さんの更なる大きな能力を封じ込めているに過ぎません。どうしてこのように物事を考えているのでしょうか? もし、皆さんがみなこのように思っていれば、旧勢力はそれを目にして、「どうして、皆にこのような心があるのでしょうか? この心を取り除かなければなりません。それでは、あの首相を悪い人に仕立て上げ、たとえ彼を悪人にしても、皆さんの常人の心を取り除かなければなりません」と思うのです。このようなことではありませんか? 旧い勢力は人間を大事に思っておらず、殺したければ殺してしまいます。法を正す中で、それらは自分の按排だけに執着しています。
法を正すことが本当に破壊されたら、宇宙は本当になくなり、それなら旧い勢力もなくなります。何の生命もなくなり、すべてが解体してしまいます。旧い勢力は宇宙を更新しようとしていますが、実質的にそれを成し遂げることができません。それらは自分のやろうとすることに執着し、法を正すことを左右しようとして果たした作用は、100パーセント悪いものです。なぜならば、法を正す中でのすべての妨害はそれらが按排したもので、その要求に従わないとき、それらは悪事を働きます。法を正す中で、これらの生命は淘汰するしかありません。皆さんは真相を伝える中で、本当に済度し難い人を目にしました。実は皆さんに教えますが、世の中の多くの人はすでに全く救い済度することができなくなりました。私が書いた「慈悲で救い済度されるはどれほどか」という句を覚えていますか? 大法弟子よ、真相を伝える中で、皆さんがいくら努力しても、皆さんに教えますが、最終的にやはり非常に多くの生命は救われることができず、彼らは淘汰されることになっています。中国大陸で多くの人が淘汰されると私には分かっており、非常に恐ろしいことであり、数は非常に巨大なのです。
話題を元に戻しますが、先ほど私と旧勢力の関係について話しました。この旧い勢力は、宇宙が成、住、壊、滅という法理の中で終焉を迎えようとしているのを見て、自分を救うために、相当久しい昔からこのことを按排し始めています。私が誰であるかは誰も知らず、私も私が誰であるかを知りません。私を見たことのある生命はなく、私を何かと呼んだ生命もいません。私は形もなく名もなく、宇宙の中のすべての生命が構成したものと違い、宇宙内の衆生にとって、私は何もありません。多分宇宙までなくなったとき、私だけが残っています。私には何もありません。私が誰であるかを知っている生命はいません。しかし、私がいなければ、宇宙も存在しません。私がここに来たのは、他でもなく、宇宙大穹が解体する時に、再び法を正す中で衆生を救い済度するためです。
実は旧勢力のすべての行いは、宇宙の生命の本能的な自分を救う行為に過ぎず、何の役にもたちません。毎回大穹が終焉を迎える前、その時の衆生もこのようにしましたが、かえって解体を速めたのです。つまり、法を正す中で、衆生は法を正すことに対して態度を示すことしか許されません。そして、彼らが残されるかどうかは、位置が新たに配置し直される時、法を正すことに対して示した態度の度合いによって決まります。言い換えれば、これも成、住、壊、滅の最終段階における衆生の振る舞いに過ぎません。
私がいきなり大穹の中、下の層に現れた時、大穹の中の高次元の生命はそれが見えたのです。私は何もないところから積み上げたのであって、粒子による組み合せではありません。なぜならば、私には粒子がないからです。皆さん知っているように、私はいきなり人間のところに来てはいけません。もし身体が非常にミクロ的なもので構成されているのであれば、宇宙のすべてに影響を与えてしまうのです。つまり、どの次元の生命であろうと、下の宇宙に入る時、その宇宙が壊滅されてしまいます。なぜならば、物質がミクロ的であればあるほど、そのエネルギーが強く、その放射性も強いのです。神のエネルギーは意識があり、慈悲深いにもかかわらず、すべてを変えてしまいます。ですから、一層一層と転生しなければならず、その次元の粒子の表面を備えてから、初めてその次元に留まることができます。しかし、皆さん考えてみてください。こうなると、歳月はあまりに長いのです。私はこのように一歩一歩入ってきたのです。
私だけではなく、大穹内にいる神々の多くがこの世に下りて来ましたが、彼らもこのように一歩一歩と下りて来たのです。天体の中から来た多くの異なる次元の神々は、その目的は大穹を救うところにあります。人間にとって彼らはみな、極めて高い次元の生命であり、このすべてを救うと願を立てました。当時、確かにたくさん来ました。元々の願は良いものですが、それは彼らには不可能なことです。できないだけではなく、元に戻ることもできなくなりました。実は誰であろうと、三界に入ったら永遠に元に戻ることができなくなります。しかし、いくらたくさん来ても、この大穹の最も高いところにいる生命たちはこれを見て、誰にもこのことができないと分かっています。それらもずっと私のことを見ていました。それらは上から非常にはっきりと見えたのです。「あ、この人ならできます」。私の生命を構成したものが宇宙の他の生命と違っており、どんなものでも、その本質を変えることができないとそれらは気づいたのです。そこで、それらは私を選びました。実はこの世に多くの神々が下りて来ました。
それらは私を選択しましたが、私が一体誰であるかを知らないのです。それではなぜ、私はそれらが歴史上に按排したことの一部に同意したのでしょうか? この中に非常に重要なことが絡んでいるからです。皆さん知っているように、先ほど大法弟子が三部分の人からなると話しましたが、その中の一部は縁を結びにきたのであって、その数は相当多いのです。彼らは遥か遠い天体からここに縁を結びにきて、遥かに遠い厖大な天体の多くの生命を代表しています。彼らは衆生が選んだ代表として地球に縁を結びにきたのです。なぜなら、法を正すことがここで行われるからです。私が参与しなければ、皆さん考えてみてください。宇宙の最も高いところにいる生命は他の人を選んで、縁を結んでしまい、それらの遥か遠い天体から来た神々は、他の人を選んで縁を結んでしまいます。これは大変なことです。もし、旧勢力が大穹を更新するためのすべてのことをみな念入りに他の生命に按排してしまえば、それでは大変まずいことになり、これは間違って縁を結んだのではありませんか? もちろん、こうなっても、それらは私が法を正すことを阻むことができません。しかし、ある深刻な問題が現れます。一旦、人を救い済度することが始まる時間になると、それらの選んだ人がやり始めます。その人にはできませんが、私も本格的に法を正し始めます。それらはきっと私がそれらを妨害していると思い、この旧宇宙のすべての生命を使い果たしても、私を消滅しにくるのです。それらはきっと私をそれらのことを破壊しようとするものとして消滅させようとしますが、誰も私を消滅させることができず、誰も私が法を正すことを阻むことはできません。そういう場合、皆さん考えてみてください。どういう情況が現れるでしょうか? 法を正すことの速度は決して影響されてはいけないので、それらが阻止しようとすれば、私はそれらを一掃します。瞬時に壊滅させ、いくら多くの生命が参与しても、消滅してしまいます。皆さん考えてみてください。私は衆生を救い済度しにきたのではありませんか。みな消滅してしまえば、誰を救い済度するのでしょうか? ですから、歴史上、それらが私を選んだ時、それらを救い済度することを配慮して、反対しませんが、私が誰であるかということも、それらに知られてはいけなかったのです。このようにして、それらは人類の歴史上のすべてを含む大穹の中のすべてを按排しました。法を正すことが始まる時、それらにとって、これも一つの試練だと思います。なぜなら、それらがやったすべてがみな新宇宙の基準に到達することのできないことであり、私はそれらをゲームとみなしています。遊びたければ、お供します。それだけに過ぎません。本当に法を正すことはどのような様子なのか、それはまた別のことです。決してそれらに新宇宙の様子を知らせません。法を正す中で、すべての生命も漏れてはならず、それらは私を按排したから、私を済度したと思い、自分に功績があると思っています。法が正された後の宇宙の状態、それら自身の状態、それらは自分のほしがっているものを得ようとし、保留したいものを保留しようと思っています。皆さん考えてみてください。新宇宙を純金に喩えるとすれば、不純な生命が一つでも中に入ってしまえば、新宇宙は不純になるのではありませんか? このようなことがどうして許され得るでしょうか? あらゆる生命も法を正すことから逃げ出すことができず、誰にもできません。天体大穹の中のすべてはみなその中にあります。つまり、旧い勢力がどのように按排しても、好きにやらせればいいのですが、最終的にこのことを行う時、決してそれらの要求に従ってはいけません。そこで、今日この旧い勢力がどうしても私にそれらの按排に従わせようとし、このすべての抵抗が現れました。この抵抗力がいくら強くても、実は私が法を正すことの実質に影響しませんでした。しかも、速度は同じように速く、同様に私の要求に従って行われており、新宇宙は完全に大法の基準に従ってすべてを築いています。実は、旧い勢力は他でもなく、法を正すことがまだ到来していないこの隙間の時間の中で演じており、大法弟子もこの間で法を守り、衆生を救い済度し、旧勢力が利用した邪悪で次元の低い生命も、ここで大法弟子と衆生を迫害し、次元の低い邪悪な生命に操られている悪人も、この間に悪事を働いています。
この旧い勢力が按排したこれらのことは、人類のところでどれぐらいの時間が経過したのでしょうか? 二つの地球の時間です。大法はこの世で伝わったことがあると以前話したことがあります。多くの学習者はそれがいつなのかと私に聞きました。つまり、前回の地球で伝わったのです。なぜでしょうか? 前回の地球は今回の地球のために行われた実験であり、旧勢力は最終的に彼らが按排した更新に問題が起こらないように、前回の地球ですでに一度実験を行い、問題がないように、ずれがないようにしたのです。なぜこれほど長い時間をかけて実験したのでしょうか? 昔、地球には人類のような生命がいなかったからです。私はなぜいつも宇宙人の話をするのでしょうか? 今まで地球がどれぐらい更新されたかにかかわらず、地球にいる生命、ここの主な生命はみな、宇宙人のような生物でした。それぞれの時期によって違いますが、みな人間の形象ではありませんでした。
歴史上、神はどうして自分の姿かたちに似せて人間を造ったのでしょうか? これは修煉界においても謎です。皆さんに教えますが、ここで法を伝えるため、法を聞く衆生が法を聞くに値する形象でなければならないからです。動物がここで法を聞くことは、大法に対する侮辱であり、許されないことです。もし大法を伝えるためでなく、ここの生物を人間の形象にした神がいれば、すべての神々はその神を消滅させます。それは神を侮辱するに等しいからです。法を正すために、神は自分の姿かたちに似せて地球の人類を造りました。東洋の人は東洋人の形象をしている神が造り、西洋の人は西洋人の形象をしている神が造り、さらに黒人の形象をしている神は黒人を造りました。他の人種も他の神が造ったのです。当時、みな自分を造ったそれらの神を主と呼んでいました。しかし、現在の人の90パーセントは高い次元から来た生命であり、多くの生命は次元が非常に高いのです。彼らはただ神が当初造った人間の皮を利用しているだけで、彼ら自身が人間の生命を造った神と直接的な関係はありません。その時、私は一つ目の地球で法を伝えた時に、それほど大きな法を説かなかったのです。なぜなら、それはただ実験のためだったからです。説いた法はただ法輪世界に衆生を済度していくだけで、その時、済度された衆生はみな、法輪世界にいます。その時の地球は最後まで存在させましたが、科学技術が相当発達していて、月はその時に上に送られたのです。しかし、工業の発達により、当時の空気、水、土壌、植物、人間の食物などすべてが変異し、最後には人間まで畸形になり、地球上のエネルギーも消耗し尽くしてしまい、その期の人間も終わってしまいました。
今期の地球は一億年前から始まったものですが、在席の人の中に、教科書からそれが35~45億年前だと教わったため、そう思っている人がいます。皆さんに教えますが、地球の各一期は一億年であり、前回の地球も一億年でした。しかし、『轉法輪』の中でも皆さんに説きましたが、地球上の文物に数億年、ひいては二十億年前のものがあると説きました。私はただ人間に先史文明の存在を教えただけで、人間はそれぐらいのことしか知ることができず、この一億年の歴史の中でも、人類は幾度となく先史の文化を創造したのです。地球のこの位置にあった以前のそれらの星も、幾度となく解体し、また再び造り直されました。宇宙の中の多くの星が解体した後、空中に漂い、塵埃と小さな星々を形成しました。厖大な天体の中で、星は絶えず解体され、絶えず新しく組み直されています。星の解体はすなわち爆発です。地球も、以前の地球が絶えず爆発し、そのたびに次の地球が新たに組み直されました。一つが爆発したら、一つが組み直されます。宇宙空間には多くの塵埃があります。中には非常に大きなものがあり、大きな石のようなものもあって、数平方キロメートル、ひいては百平方キロメートル以上にも達するのです。すべての星に文明が存在したことがあり、以前の地球にも文明がありました。ですから、多くの完全に爆発していない大きな物体に過去の生物の文明が残ることがあります。地球を再び造り直すときに、これらの宇宙の塵埃をかき集めて、新しく造られた地球に以前の地球または他の星にある文物、文明遺跡が残っていることがあります。現在の地質学者と歴史学者にとって、今日私がこれを説かない限り、彼らはどんな方法を用いても、この地球の物質がいつの年代のものか解き明かすことはできません。先ほど、この地球は一億年の歴史があると私は言いましたが、現在でちょうど一億年になり、以前この位置にあった地球と同じ年齢になりました。もちろん、人類はこの一億年の間に何回もの文明を経験し、道徳が堕落したため、幾度となく神に消滅させられました。現在の人類のいわゆる文明は旧勢力が故意に按排したもので、本当の人類の文化ではありません。
なぜ、法を伝える際に直接人間の皮を造らず、法を聞きに下りてくる神のために、長い歴史以前から人間を造ったのでしょうか? 神が人間を造るとき、自分の思想意識を中に入れてはならないということを、皆さんは知っておくべきです。なぜなら、それは完全な神になり、人間ではなくなるため、してはいけないのです。人間に神の形象が備わっていても、神は人間を同類とみなしていません。なぜなら、人間の行為は神の行為と全く違うからです。では、当初の人間はどのようなものだったのでしょうか? 人間の身体の構造は神が造ったものなので、この空間においてそれは最も完璧な人体システムであり、他の星の生命もそれを見て賛嘆しています! もちろん、人間の三魂七魄も含めて、完全な人体を構成します。三魂七魄を含まない人体の表面だけのものは、人間の皮とも呼ばれています。人間の皮という概念は人間が認識している皮膚とはまた別のことです。分子粒子で構成された最も表面的な人体にあるすべて、骨、血液、内臓などを含む表面にあるすべての人体の構造、つまりミクロから見れば、表面の分子細胞が構成した人間、解剖のときに人間の目で見られるすべてを、神はこの一連の表面構造を人間の皮と呼んでいて、人間の皮膚を指しているのではありません。
しかし、宇宙とこの世のすべて、および生命が現すすべてに対して、認識能力を持っていない人間は、大千世界の変化に対して、いかなる忍耐力もなく、いかなる形をなす思想もなく、また、宇宙、地球、自然界に対しても、認識し対応する能力はありません。彼はどのように振る舞うのでしょうか? 皆さんに教えますが、彼は嬉しいことに出会ったら、木に登り笑いが止まりません。笑っているときの様子も非常に怖いもので、全く自分を制御することができません。辛いことがあったら、彼は地に潜りこみ、長いこと自ら抜け出すことができません。腹立たしいことに出遭ったら、結果を考えずにうっぷんを晴らしてしまいます。彼は喜怒哀楽のために死にます。皆さん考えてみてください。このような人は法を聞くことができるのでしょうか? しかし、当初造った人間はこのようなもので、いかなる内涵もなく、いかなる忍耐力もなく、この空間のすべての物事に対して、整った思惟の概念も全くありません。ですから、長い年月を経て、人間の思想を徐々に豊かにし、内涵と忍耐力が備わるようにする必要があります。これは短時間でできることではないので、この一億年の間にこのことをやってきました。今日の人間は、何かに遭遇しても驚かず、冷静で落ち着いて理性的に考えることができ、ひいては創造する能力まで備わっています。人間がこのような思想、正常な思惟状態を備えることができたのは、長い歴史の歳月の間に、神が意図的に人に与えたからです。この過程は、皆さんに教えますが、五千年前までずっと続きました。
この五千年、つまり中国の半神文化に入ってから、人間が法を受け入れることができるように、その思想を系統的に整え始めました。人間の空間において理は逆になっていますが、宇宙の大法は正なのです。私が法を説くとき、三界以上の異なる次元で聞いた法理の内涵、文字、表現形式は異なっていますが、法理は貫かれているのです。それは昇華した境地によって生み出された違いであり、ずれではありません。もし私が人間のところでこのような内容を説き、天上では別の内容を説いていれば、皆さん考えてみてください。法は圓容ではなくなります。それではいけません。法を正す中で、人間のここで説いた法は、必ず宇宙全体と対応していなければなりません。私が法を説いているときに、すべての次元での私も法を説いており、すべての次元の衆生も法を聞いています。
それでは、人間が法を聞くときに、それを理解できるような思想はどのように造られ、整えられたのでしょうか? 法がどのように説かれるかに応じて、人類の文化と人間の考えが造られたのです。全世界の人はみな、徳とは何か、信じるとは何か、善とは何か、悪とは何か、良いことと悪いことについて知っていますが、これは最も基本的なことです。中国ではさらに具体的に表現され、その内涵はもっと深いのです。なぜなら、法は中国で伝えられ、事がそこで行われるため、そこで本当に法を認識し理解することができるような、豊かな文化を創造しなければなりません。以前皆さんに話したことがありますが、歴史上、私はずっと多くの弟子と縁を結んできました。縁を結ぶことは、ただの表面的な目的であり、縁を結んだ後、大法弟子は私と一緒に、人類の文明と大法が必要とする文化を造るという責任も負っています。なぜなら歴史上、普通の常人が大法を伝えるために造られた人類の歴史に、何らかの文明や遺跡、学説を残そうとしたら、それは決して許されないことだからです。ですから、歴史に残ったすべての文化は、私たち大法弟子によるものであって、もちろん師父が皆さんを導いていました。人類の歴史はあたかも芝居のようです。皆さんが国王から庶民まで、英雄から強盗まで、(笑って)文人、著名人から英雄まで、すべてを皆さんがやったのです。皆さん笑わないでください! 強盗を演じる人がいなければ、今日私が法を説くときに、人間は強盗が何か、強盗の行動がどういうものか、その考えや感情がどのようなものか、強盗がどういうイメージなのか分かりません。法の中に空白があってはいけません。
皆さんは『三国演義』を知っているでしょう。『三国演義』の中で「義」が説かれました。一つの時代を経て、三つの勢力がお互いに勝負を争う中で、充分に「義」の内涵を表しました。しかも一つの時代という長い時間を経て、「義」の深層文化を表したため、今日法を伝える時に人類ははじめて、「義」に対して深く認識し、義とは何かを知り、その表面と内涵から派生した関係と深層における反映を知ることができました。人間はこの字の表面を知るだけでなく、内涵などすべて分からなければなりません。もちろん、『三国演義』の中で、人間の知謀などの内涵も表しました。
南宋の岳飛に現れたのは「忠」なのです。「忠」とは何か、ただそれを説明するだけではいけません。一つの時代という過程を経て、やっとその真の内涵と深層のつながり、および行為の表れなどを人々に理解させました。
歴史上、また諸子百家があり、孔子の中庸思想に提唱された、仁、義、礼、智、信、等々があります。釈迦牟尼、老子、イエスの出現によって、人々は今日、正しい信仰と修煉とは何か、佛、道、神とは何かを真に認識することができるようになりました。歴史は今日の人類の思想を豊かにし、人々が法を認識し、理解し、法を得ることができるようにしているのです。人類のすべての歴史の過程はみなこのような基礎を築いており、つまり、大法を伝えるために人と人との文化を造ったのであり、法は人類の文化に合わせながら説かれているのではなく、ましてや人類の文化の産物でもありません。これがこの五千年の間に私たちが行なったことです。
ここまで話しましたが、最も適切に表現すれば、人類社会は芝居のようです。一つの王朝、一つの時代は、幕が開かれたように、一つの王朝が演じ始められます。一つの王朝が終わったら、幕が閉じます。再び幕が開かれ、王朝が改まり時代が変わります。一つの王朝、一つの時代、さらに一つの王朝、一つの時代、このように舞台で演じられ、縁を結び、歴史を残し、人類に必要な文化を造り、一幕一幕が演じられてきました。なぜ中国というところでは王朝と呼ばれ、中国以外の地域ではみな国家と呼ばれていたのでしょうか? なぜ、彼らの主領は王と呼ばれ、中国では皇帝と呼ばれていたのでしょうか? 皆さんに教えますが、これは一つの言葉と文化による違いではありません。なぜなら、人類が大法のために造られ、大法がこの芝居の主軸であり、衆生の存在はすべてこの主軸をめぐっています。ただ人々はみな、芝居の中の枝葉に過ぎないトラブルや衝突の演出に迷わされ、芝居の主題、人生の目的が何であるかを忘れてしまいました。この芝居の舞台は中国なのです。
一つの王朝、一つの時代が続き、各王朝の人はそれぞれの王朝の天人であり、遥か遠い天体から来た代表であり、法が正される中で、そこの衆生が取り残されないように、そこの無数の衆生を代表して、ここに縁を結びにきています。縁を結ぶとき、彼らは持ち込んだ文化を残しました。縁を結んだ後、来世は他の地域に転生し、大法が伝えられる日を待っています。すべての王朝はみなこのようであり、全世界のすべての民族は中国で転生したことがあります。各国の人々を含め、最近、大法が伝えだされてから来た大量の上界の生命を除き、歴史上各国の人はみな、中国に転生したことがあります。どの国の人であるかにかかわらず、あなたは地球でまず中国人になります。皆さんの転生の始まりはそこだからです。ここまで話しましたので、皆さんに教えますが、実は中国という国の国家形式と内涵は、みな存在しないものです。皆さんはこれが驚くような話だと思いますか? 実は中国の文化は全世界の人々が各時代に残したのであって、縁を結んでから、他の地域に転生しました。例えば、現在のアメリカ人は明の時代の人です。今のアメリカ人は道が好きで、まだその時の観念の現れを持っています。明の時代は道の最頂点に向かっていた時で、一部の地域では、ほぼすべての家に炉が設けられていました。イギリスは大唐、フランスは大清、イタリアは元、オーストラリアは夏、ロシアは周、スウェーデンは北宋、台湾は南宋、日本は隋です。当時、各王朝の人々が中国から離れ転生していった地域に今の国家はなく、まだ未開発のところでした。ですから、多くの人は世界各地に散らばって転生し、近代になってやっと元のところへ戻ったのです。この王朝の人がここ、あの王朝の人がそこ、という具合でした。ですから、厳密に言えば、どこが中国なのでしょうか? 誰が中国人なのでしょうか? 中国の本当の意味は存在していないのです。
それでは、今は存在するようになったのでしょうか? 国と呼ばれるようになり、王朝もなくなったのではありませんか? 実は現在も存在していません。最後の芝居になり、法を伝える時になると、全世界の私と縁を結んだことのある衆生、あるいは最も法を得る可能性のある人、そして法が伝えだされた時に負の作用をする人々は、みな中国に転生し戻ってきました。法を得る人であろうと、破壊する人であろうと、皆が法のために来ており、法のために生じ、法のために成されたのであって、すべて揃ったのです。ですから、現在の中国人は最も複雑で、そこに法を正す時期のために来た全世界の正の生命と負の生命が集まっています。しかし、正の働きをする人であろうと、負の働きをする人であろうと、法を正す時に旧勢力の按排を認めなければ、衆生が正しく法を正すことに対処することさえできれば、淘汰されない可能性があります。法を得ていれば、私はその人を救い済度します。以前、世の中になぜ民主主義が現れたのかについて話したことがありますが、その根本的な原因は、各民族、各天体から来た王がみな、中国に転生したので、誰がまだそこで王と称することができるでしょうか? 最後に、旧勢力の中のそれらの高次元の生命は「彼ら人間に自分で選ばせましょう」と決めたのです。選ばれた人を王と呼んではならず、大統領と呼びましょう。選ばれても、王のような処遇を与えず、悪くなったら批判してもよいし、さらに悪くなったら弾劾し、改めて選べばよいのです。これが高次元の生命が民主主義を按排した本当の原因です。また他の要素もあります。人間のところでの現れに、人間の次元での理の現れもあり、人間はその経緯を知らないのです。ですから中国の人々は、見た目ではたいしたことがありませんが、それは近代の業力が大きくなったことによってもたらされたものです。この皮はあまり美しくなくなったのですが、中の内涵は非常に大きいのです。皆さん考えてみてください。そこの衆生が消滅させられたら、なんと恐ろしいことでしょう。彼らが代表している、そして彼ら自身が対応している空間と衆生はみな、非常に重要な生命群なのです。
ここまで話しましたので、ついでに触れておきますが、先ほどこの地球の歴史は一億年しかないと言いました。おおよそ、この地球の一億年は二つの大きな時期に分けることができ、五千万年を一つの時期としています。前半の五千万年は巨人、小人、中人が同時に存在する時期でした。巨人の身長は平均五メートルでした。中人は現在の人類で、平均して二メートル足らずでした。小人は数寸しかありませんでした。当時、神が人間を造った時に、なぜ同時にこの三種類の人を造ったのでしょうか? この三種類のどれが地球で最後まで生存し、法を得ることに適するかを試すためでした。この五千万年の間に、世界を認識する人間の能力を造りながら、どの種類の人間を残すかを決めていました。最後に、巨人がやはり合わないと分かりました。その体が大きいので、地球の距離は相対的に短くなり、時間も短くなりました。また巨人の物的資源に対する消耗も地球と比例していませんでした。その後、小人も全体とバランスが合わないと気づきました。地球全体がみな森林だったので、小人がそれを開拓するとき大変難しかったのです。当時、土地は一つもなく、今日のような文明を創造することは彼らにはあまりに難しいことでした。同時に、地球の時間は小人にとっては長すぎ、距離も長かったのです。小人にとって、大洋を渡ることはあまりに難しいことでした。ですから、小人も適していませんでした。このように、巨人と小人は淘汰されました。すぐに淘汰されたのではなく、五千万年以降、徐々に歴史から淘汰されたのです。巨人が最終的に私たちの視界から消えたのは、およそ二世紀前のことで、つまり二百年あまり前、巨人はやっと消えました。一方、小人は七、八十年前まで、まだそれを目にした人がいました。近代になってやっと姿を消しました。すべていなくなったということではなく、他の空間に行った者もいれば、地下に行った者もいます。彼らは自分が淘汰された人だと分かっているので、現代人と接触しなくなりました。
ここまで話したので、私は歴史上の二つの謎を解き明かしましょう。ピラミッドがどのように作られたのか人類は分かりません。あれほど大きな石を人間はどうやって運んだのでしょうか? 身長五メートルの人がそれを運ぶとき、今の人間が大きな石を運ぶことと同じことです。身長五メートルの人がピラミッドを作ったとき、今日の私たちがビルを建てることと同じです。もう一つの謎ですが、どうして、恐竜のような大きな動物がいたのでしょうか? 実はそれは巨人のために用意したものでした。身長五メートルの人が恐竜のような大型動物を見るとき、現在の私たちが牛を見ることと何の違いもありません。異なる人間には異なる種類のものを用意しなければなりません。地球上のすべてのものは、人間のために造られ、人間のために成されたのです。ついでに皆さんに教えますが、動物を人間と同等にみなしてはならず、決して同じように扱ってはいけません。動物に慈しみを持ってもいいし、可愛がってもいいのですが、決して人間と同じように対処してはいけません。人間は神に造られたのであって、動物を人間と比べることは人間を侮辱し、神を冒涜するに等しいのです。歴史の真実は間もなく人間の前に現れますが、その時、人類の宇宙、生命、物質に対する本当の正しい見識が現れます。現在、考古学の研究に携わっている一部の人は、人間の骨を恐竜のものだと思い、ピラミッドに対しても現在の狭い見識を持って推理し考えています。実は科学の現在の物質世界に関する認識の多くは間違っており、その立脚点まで間違っています。万有引力の説さえ間違っています。機会があれば、これらのことを人間に説きたいと思います。
先ほど、私は人類の歴史の蓋を開けました。(拍手) 歴史を話すためではなく、人類がこの大法のために造られ、形成されたため、私は歴史を話す中で皆さんに法を説いており、このすべては法と関わりを持っているのです。多くのことは大法弟子にとって、非常に重要なことです。特にこれらのことと皆さんが現在行なっているすべての中で、皆さんは大法に対して、責任を持っており、大法弟子の深くて重大な要素が含まれています。その目的は、皆さんが今後の法を正す中で、さらによく行えることを期待することにあります。必ず努力しなければならず、よく行わなければなりません。なぜなら、あなたがしようとしているのはすべてを圓満成就させることであり、あなたに責任があり、あなたは衆生を救い済度するという使命と責任を持って来たからです。歴史上、みな衆生を普く済度すると言っていますが、誰がその本当の意味が分かるのでしょうか? 皆さんこそ、本当に衆生を救い済度しています。皆さんこそ、これほど偉大なことをする資格があります。くれぐれもこの機会を逃さないでください!
私の話はこの辺にしましょう。どうしても聞きたい問題があり、それが非常に重要だと思えば、提出してもよいのです。次の時間を利用して、皆さんに解答します。皆さんの仕事のこと、生活のこと、修煉の中の個人に関わる具体的なことなら、それは皆さんが個人修煉の中で、向上する要素と条件であり、自分で悟り、乗り越えるべき関です。自分が悟って分かったときの威徳はやはり皆さんに残しましょう。私がそれに解答したら、あなたのものではなくなるからです。
弟子:正念を発するときの口訣と手印は、それぞれ固定して対応しているのでしょうか?
師:違います。二種類の口訣は随意に二種類の手印に対応することができます。
弟子:法を正す中、天目が見える学習者の言うことを聞き、法をもって物事を量ろうとしません。
師:いつであっても、集団で何かをするときも、個人で法を実証するときも、すべて大法を主とし、すべて法をもって量るべきです。決して誰それの天目で見えたことを基準にしてはいけません。弟子たちが見たことの多くは真実であっても、局部的なもので、同時に次元による制限もあり、時に執着によって作られる虚像もあります。皆さんに教えますが、この宇宙のいくら次元の高い神であっても、宇宙は彼にとって謎であり、彼までも宇宙で法を正す時に救い済度される対象です。彼らに見えたもの、分かったことは彼らのいる次元のことであり、宇宙全体の真相ではなく、ましてや法を正す中で大法弟子がしようとしている本当の最終的な真相でもありません。それらの神が何をやっているのかが見えても、彼らが何を言ったのかが聞こえても、信じてはならず、大法と師父の要求に従って行なってください。すべてのことは正しく行われなければなりません。それは比類のない重大で偉大なことです! 誰かが見たことを指針としてはいけません。
大法弟子の間で、何かをするとき、論争があっても必然なことであり、異なる意見があっても当然なことです。なぜでしょうか? あなたのその執着心を表し、それを取り除くためです。しかし、論争の中で長く対峙していけば、それでは問題になります。それは皆さんが内に向けて探さず、自分の問題を見ていないからです。みな大法のために責任を負いたいと思っており、その出発点は良いのですが、往々にして自分自身に注意を払っておらず、何かしらの常人の心がある可能性が高いのです。くれぐれもこれらのことに気をつけてください。
今日、法を正すことがここまできており、大法弟子の皆さん、師父は皆さんが法を正す中で行なったすべてを認めています。私は一九九九年の「七・二〇」に、すでに「七・二〇」以前の学習者をすべて所定の位置に押し上げ、皆さんの最高位置まで押し上げました。以前、皆さんに教えたことがありますが、皆さんの変化は最もミクロなところから、最も本質のところから始まったのです。私の修煉は速すぎると思う学習者がいます。当時、みなこのような感覚がありました。皆さんの圓満成就の過程、皆さんの最後の修煉における向上は、皆さんがこれから法を実証するためのものです。ですから、個人修煉の段階で法をしっかり学べば、迫害の中で法を実証し、衆生を救い済度することもよく行うことができ、表面の身体も絶えず法を正している中で高い次元に向かって同化し、人間の表面に残ったものはますます少なくなります。それに対し、よく行うことのできなかった人、逆の方向に向かった人、表に出て来なかった人は、見る見るうちに、彼らの神の一面の身体は、一層また一層と溶けてしまいました。もちろん、事はまだ終わっておらず、法を正すことがまだ終わっていないので、皆さんにとって再びよく行う機会はまだあります。そうですね、迫害が一日でも終わっていなければ、その一日はすなわち機会です。きちんと利用して、さらによく行いましょう。早く戻って来てください。二度とこの機会を逃さないでください。精神的な重荷を背負わず、間違ったら再びよく行えば良いのです。以前のことは考えないで、これからいかによく行うかを考え、自分自身と衆生のために本当に責任を負うようにしてください。
また、ついでに話しますが、仕事の中で意見が違ったとき、私の家族に電話をして意見を聞きたがる学習者がいます。皆さんに教えますが、私の家族も修煉者であり、彼らも多くのことに対してはっきり判断することができず、ひいては間違ったこと、間違った話をする可能性もあります。彼らが話したことは法ではありません。今後、このようなことを二度としないでください。皆さん自身が威徳を樹立する機会、自らが修煉によって向上する機会を拒否しないでください。法を正す中で、みな自分の道を歩んでおり、それはすなわち、大法弟子一人一人が歩んだ歴史です。
これくらいにしましょう。問題があれば、引き続いて出してください。
弟子:師父はなぜ、よく子供の修煉者を連れて、天上で仕事をされるのでしょうか?
師:彼らには大人が後天的に形成した観念がなく、本性が純粋であり、発したエネルギーも常人の考えに影響されません。他の方面から言えば、能力の大きさは常人の年齢に制限されることはありません。
弟子:香港のような放蕩三昧の生活環境の中で、どのように人々に法を得させるのでしょうか。
師:皆さんは大法弟子であり、救い済度しているのは邪悪な虚言に毒害されている衆生です。大法に反対さえしなければ、法がこの世を正す時に淘汰される危険から免れることができます。法を破壊していないが、良くない、あるいはあまり良くない生命に対しては、現在一切何もしません。なぜなら、次の段階にまた修煉する人がいて、次の段階の衆生は、法がこの世を正す中で自らの位置が決められるからです。現在、重点的に救い済度しているのは、邪悪な虚言によって毒害された人々です。衆生を救い済度する中で、消滅されたそれらの非常に邪悪な生命も、法を破壊する生命だけです。それらと同じ基準にある多くの生命は、法を破壊しておらず、このことに参与していないため、一切何もしません。なぜでしょうか? 法を破壊しなかった者は、次に法を正す中で、彼らに対しても機会が与えられます。同時に次の段階にまた修煉する人々がいますが、それは次の段階のことです。
現在、大法弟子が行うべきことは、大法に対して責任を負うことであり、常人社会のことに触れないでください。真相を伝えるときに次元の高い話をしないでください。主に奥深い法とは何かを人に理解させることではありません。特に良い人には話してもかまいません。真相を伝えるとき、私たちは迫害されていて、ただ煉功して良い人になろうとしていると普通の人に教えれば、人はそれを理解することができます。真相を知った人々はすべての宣伝がでっち上げであると分かり、自然にそれらの卑劣さと邪悪さが見えてきます。人々はそれを知って、憤るのです。一つの政府がどうしてここまで卑劣でありえるでしょうか? しかも、これほど激しく迫害されている原因は、ただ良い人になるためだけなのです。最も分かりやすい道理から常人に話せば、彼らはそれを受け入れ、理解できるだけでなく、誤解も生じにくいのです。皆さんは長く修煉していて、法に対する理解は相当深いのです。高い次元からの法に対する認識を話せば、常人は理解しにくいだけでなく、誤解も生じやすいのです。皆さんは長い修煉の過程を経て、やっと今の深い理解を得ましたが、人々にいきなりここまで理解させようとしても、彼らにはできません。ですから、あまり次元の高い話をしないでください。宗教を信じている人々を相手に真相を伝えるときにも、次元の高い話をしないでください。ただ私たちが遭っている迫害を話せばいいのです。彼らがその他の信仰についての問題を聞きたくなければ、私たちも信仰のことに触れず、煉功をしているとだけ話せばいいのです。現在は人を救うことも非常に難しいことであり、彼らの執着に沿って説明しなければなりません。彼らを救うために、彼らの考えにいかなる障碍ももたらさないでください。
弟子:私は法を得て数か月しか経っていない弟子ですが、私は一九九九年「七・二〇」前に法を得た弟子とは何が違いますか?
師:旧い勢力は、迫害されているときにも、大法弟子が大法に入ることを按排しました。これほど厳しく迫害されている中で入ってきた人は、その威徳がすぐにでき上がるとそれらは思っています。しかし、次の段階で圓満成就し、この範囲に属さない人もいます。ですから、今誰がどのような状況なのか、はっきり説明することはできません。いずれにせよ、大法を得たことは、まさに幸運中の幸運です。必ずこの時間をしっかり利用して、自分自身が真に修煉し法を得て、向上できるようにしてください。誰もが法を得られるのではなく、誰でもここに入って来られるのでもありません。これは宇宙の大法だからです。当時、大法を伝えた時、旧い勢力はなぜ、かたくなに第一回目に法を得る人数を一億人と制限したのでしょうか? その一億人も私が固く要求したことの結果です。それらが当時決めたのは七千万でしたが、私がほしかったのは二億人でした。もし一回目に二億人が法を得たなら、今回のいわゆる邪悪な試練も成り立たなくなるとそれらは分かっていたので、かたくなに一億と制限しました。その中の多くの人は法を得たばかりでしたが、それらは待っていられないほど急いで、いわゆる魔難を始めたのです。これらの人にとって、非常に不公平なことです。最近に法を得た人がどのケースなのか、私は話していません。皆さんもこれらのことを考えずに、行うべきことを行なってください。
弟子:師父、こんにちは。お伺いしたいことがありますが、新経文の中で「新三才」について言及されましたが、弟子にはその意味がよく理解できません。どうか師父、ご明示ください。
師:実は、あなたのような年齢の人なら、知っているはずです。昔の私塾、または一九五〇年以前に学校に通ったことのある人はみな、学校で三字経を学んだことがあります。三字経の中にそれがあります。中国文化の中にも三才の説があり、道家の文化にもよくそれに触れています。「三才」は実は、天、地、人のことを指しており、「新三才」はつまり、新しい天、新しい地、新しい人のことです。
弟子:師父、こんにちは。お伺いしたいことがあります。儒家の思想は中国の歴代の王朝で続いてきましたが、儒家の思想と大法が中国で伝わることはどのような関係なのでしょうか?
師:儒家については、先ほどすでに話しましたが、ただ人間の一つの思想を築いただけに過ぎません。つまり、中庸とは何か、人々が信じ、守るべきである、仁、義、礼、智、信などの具体的な意味を人々に分からせるためです。ただそれだけです。人類の各時期の文化はみな、人々が法を得る時に備わるべき思想を築いているだけであって、最終的に法を得る時に法を理解し、法を聞いて分かるようにするためです。
弟子:今、私たちは大量の大法の仕事をしていて、時間があまりありません。毎日二時間の煉功は私自身も保証できませんが、煉功が少なくなっても大丈夫でしょうか?
師:大法弟子の皆さん、お疲れ様です。本当にお疲れ様です。私はこれ以上皆さんにあれこれするようにと要求するに忍びません。多くの人が積極的に多くのことを担当しており、毎日の睡眠時間も短いのですが、その上、また仕事もしなければなりません。本当に難しいのです。しかし、いくら難しくても、やはり時間をさいて法を学び煉功すべきだと思います。修煉している人は煉功しなくてはいけません。煉功は向上の補助的なものですが、それも法の一部です。さらに煉功はあなたの身体の変化全体に関わっています。もちろん、やることが多すぎて、あまりにも忙しくなり、煉功の時間が少なくなったり、あるいは数日間煉功しなかったりしても、しばらくしてからその分を補えばいいのです。もし本当に忙しくて煉功の時間が確かに少ない場合、師父にはあなたのために対処する方法もあります。しかし、皆さんが忙しくなったり、苦労したりすることは大法弟子の威徳だと、私はいつも思っています。将来振り返ったときに、それが素晴らしいことだと分かります!
弟子:宇宙で最も高い生命はどのように造り出されたのでしょうか?
師:将来、私は皆さんに最も次元の高い法を説きます。その時、宇宙がどのように形成されたのかをお話するとき、このことに触れます。今、それを話すのはまだ早いのです。
弟子:法を学ぶ中で、天上の人は五百年ごとに輪廻し、地上の人は百年ごとに輪廻すると読みましたが、それはどういうことなのでしょうか?
師:三界は宇宙の最も低い境地にあります。三界の中は三つの大きな次元に分けられているため、三界と呼ばれています。各次元に三層の大きな天があり、合わせて九層の天があります。さらに、九層の天にまた多くの小さな天が分けられているので、それを三十三層の天と呼ぶ人もいます。実はそれ以上あります。この範囲内では、すべての生命は輪廻しますが、この三界以外の生命は輪廻に入りません。三界内の生命は一世一世に生きる時間がわりと短いのです。地上にいるこの世の人は数十年しか生きることができず、その上の一層の生命は百年から二百年生きることができ、さらに高い一層の生命は二、三百年、さらに高い一層の生命は三、四百年、最も高い一層の生命は千年ぐらい生きることができます。しかし、いくら長く生きても、最終的に堕ちてきて、再び輪廻に入りますが、三界の外に出た生命は再び輪廻することはありません。
弟子:大法の書籍に修正されたものがありますが、どれを基準にするのでしょうか?
師:誤字などが見つかって、それを修正するのは必要なことです。師がいるから、法が乱れることはありません。中国語のものは最近台湾で発行したものを基準とします。
弟子:今の学校はますます「真・善・忍」から離れ、まるで子供をロボットのように育て、勝手気ままにさせ、人としての道理を教えず、徳を重んじることもなく、善も忍もないように思えます。ですから、子供を学校に通わせたくなく、自宅で自分が教えようと考えています。これは偏っているでしょうか? 将来、大法の学校があることを願っています。
師:私は今、法を説くときも、現在の科学と結びつけて説いており、人類はすでにこのようになってしまいました。現在の学校は教育上、子供を善に向かわせることができず、子供の考えを放任していますが、現有の知識は子供が将来法を認識することにまだ役に立っています。もちろん、大法弟子の学校があるに越したことはありませんが、まだないとき、やはり知識を得させたほうがよいと思います。帰ってきてから、『轉法輪』を読み聞かせたり、どのように人間として行動すべきかを教えたりすればよいのです。今はこのようにするしかありません。過渡期も非常に短いのです。
弟子:最近の新経文はどうして多くの字が訂正されたのでしょうか?
師:最近発表した六編の経文はみな、私が電話でそれを知らせ、口述して明慧ネットにそれを記録してもらったのです。ですから、間違いがありました。普通なら、明慧ネットが発表してから、私はそれ以上触れませんが、それを見た人から聞かれてやっとそれを見たりします。特に忙しいときに見直す時間がなかったため、引き起こされたことです。
弟子:私は朝鮮半島から来た者です。大法の下では、すべての人が平等であると思っています。しかし、多くの新しい学習者には文化の違いがあります。この方面のことについてお話をしていただきたいと思います。
師:実は、『轉法輪』が異なる言語に翻訳されたときに、表面上において法を理解することに影響はありません。特に修煉の中で、法の内涵が表面の文字に現れているのではありません。あなたが絶えず本を読めば、絶えず法理に対して新しい認識があり、さらに多くの法理が見えてきます。実は、法があなたの智慧を開いているので、向上することに何の影響もありません。中国大陸の多くの字の読めない年配の方は、法を学ぶことによって字が読めるようになり、しかも向上するとき、何の影響も受けません。
弟子:新しい学習者は文化的な障碍があるため、法を理解することができません。
師:新しい学習者は少しずつ、少しずつ理解していきますが、あなたも新しい学習者に次元の高い話をしないでください。ただ表面的に、いかに心性を高めるか、病気の除去と健康保持のことを話せばよいのです。将来、時間が経つにつれ、本をたくさん読むことによって、自分で分かってきます。
弟子:多くの西洋人が煉功の動作を習いにきていますが、各年齢層の人が含まれています。師父の説法の録音テープのような、師父の号令をそのままにし、同時に英語の通訳のついた煉功テープを作ってもよろしいでしょうか?
師:いいです。ただ口訣は翻訳しないでください。口訣はつまり常人の言う呪文であり、一文字一文字の音と表現はみな、ある一定の天体の中で連携の作用をしています。翻訳すると、正しい音と内在している要素を失ってしまいます。
弟子:お聞きしたいのですが、これは比較的よくある現象だと思います。つまり、多くの大法弟子が外で法を広めるときは、相手とよく交流できたなど、感じがいいのですが、家での関がわりと大きいのです。例えば、配偶者が理解できないなどです。私の両親の場合、国内である程度の地位もあるので、圧力が非常に大きいと感じています。多くの大法弟子の国内での親族はみな、法輪功が良いと思っていますが、私たちは外にいて危ないのではないかと心配しています。これらの大法弟子の家族も同時にある程度の圧力を受けているので、法がこの世を正す時、彼らはどうなるのでしょうか?
師:この心を放下すべきです。この期間の中ですべての衆生の振る舞いに対して、法は量っています。もし法を破壊していなければ、問題はありません。もし大法に対して良くない考えを持っていれば、衆生を救い済度するという点から、まず自分の家族に説明し、できるだけ彼らにはっきり説明し、それらの考えを捨てるよう手伝ってあげなければなりません。
弟子:今回の法会後の文芸公演に常人も来ますが、人類社会の中で比較的正しいとされる歌を歌ってもよいでしょうか?
師:私たちの文芸公演に常人が来てもいいのです。衆生を救い済度するためです。私たちの法会にも参加していいのです。学習者の法会での発表は彼らにとってもメリットがあり、これは問題のないことです。常人の歌を私たち大法の殿堂で歌ってもよいのでしょうか? だめです。(拍手) なぜでしょうか? 常人社会の公演に参加し、大法弟子が常人の公演に参加する場合、低俗な歌、政治的なものでなければ大丈夫です。もし、純粋に私たち自身の大法のコンサートであれば、それは純正なもののほうがよいと思います。私たち大法弟子が主催したものでなければ、構いません。必ずこの問題を区別してください。健全な歌ならどうでしょうか? 今、その歌の作曲者が大法を迫害したことがあるかどうかはなかなか分かりません。その人が中国で大法を迫害するような歌を書いたことがあるかどうか、あなたに分かりますか? 今、皆さんは量ることができません。もし作曲者が大法弟子であり、歌そのものに政治的なものがなければ、大丈夫です。しかし、現在これらのことはなかなか把握しにくいのです。
弟子:大陸の学習者が外に出て法を広めれば、きっと逮捕されるに違いありません。法を広めなければ、法を正す過程で自分の次元に影響するのではないかと心配しています。大陸の弟子はどのようにこのことに対処すべきでしょうか?
師:この二通りの考えはみな間違っています。外に出て法を広めなければ、次元に影響するのではないか、向上に影響するのではないか、圓満成就に影響するのではないか、これに影響するのではないか、あれに影響するのではないかと恐れており、本当に大法弟子の角度から物事をみていません。大法弟子なら、法を実証すべきであり、衆生を救い済度すべきです。これらの常人の心があるので、問題が起こりやすいのです。だから多くの問題が起きたのです。
国内の情況は私にすべて分かっており、とてもはっきりと分かっています。法を実証しなければ、大法弟子としてふさわしくないと思います。私はあまり具体的に話してはいけません。多くのことは旧勢力による按排であり、しかも非常に具体的に按排されたのです。現れは非常に複雑です。中国大陸の情況は非常に混乱しているようにみえますが、実は非常に秩序があるのです。
大法弟子が二通りの情況下にいる場合、それらは手を出すことができません。一つは、磐石のように確固としていれば、それらは手を出す勇気がありません。なぜなら、その時、旧い勢力であっても、旧い理であっても、この弟子が正しく歩み、よく行なっているとき、それでも誰かが迫害を加えようとすれば、私が決して許さないことをそれらは知っているからです。なぜなら、その時、私の周りにはさらに無数の正神がいます! 私の無数の法身も、みな法を正すのです。心配しているのは、弟子自身の心が落ち着いておらず、この執着、あの恐怖心があり、旧勢力はそれを目にしたら、この隙に付け入って迫害します。さらに、迫害の中で正念が足りないため、受けた迫害はさらにひどくなりました。みなこのような情況です。しかも、この部分の学習者の絶対多数は歴史上、私と直接に縁を結んだことのない人です。今回法を伝える時、門が開かれ、旧勢力がそれを阻止することができなかったため、彼らは入ってきました。しかし、これらの学習者の絶対多数はよく行なってきました。歴史上、縁を結んだことのある人に対して、旧勢力はあえて、あまりに度を過ぎて迫害する勇気はありません。なぜなら、彼らは歴史上このような苦を嘗めたことがあるからです。大法弟子は、どの部分の弟子であるかにかかわらず、みなこのようによく行うことができれば、今回の迫害はとっくに終わりました。よく行うと言っても、言うだけでできるようなことではなく、私が皆さんに必ずこのようにしてくださいと要求したら、必ずできるようなことでもありません。それは修煉の中で築いたしっかりとした基礎であり、長きにわたって法を学んだため築いたものです。実は、大多数の人はよく行いました。よく行わなかった人は、第三部分の学習者の中から現れてきたのです。よく行わなかったから、迫害がさらに厳しくなり、大法が非常に厳しく迫害される形勢が見受けられました。実はどの部分の学習者であるかにかかわらず、師父は同じように対処します。私たちが大陸以外のところで生死を放下すると言っても、それは学習者がそのような環境で、そのような圧力の前で、そのような形勢の下で生死を放下すると言うことと決して同じではありません。私はこれらのことをこれ以上話したくありませんが、彼らがあの環境で本当に生死を放下することができれば情況は変わります。例えば、逮捕された後、平然として動ぜず、いささかの恐れる心もない大法弟子がいますが、旧勢力は彼を迫害する勇気がありません。なぜなら、この人を殴り殺す以外、どんな迫害も効果がないと旧勢力は分かっているので、手を出さなくなりました。どれくらいの学習者がここまでできるでしょうか? 彼らの法に対する確固たる信念が、邪悪を恐れさせるのです。しかし、常人の執着が重く、法を深く学んでいなかったため、多くの受けるべきではない苦痛を嘗めました。「反省文」を書いたり、何かの署名をしたりした人がいますが、私は今回の迫害を認めていないため、このことが終わるまで、彼らに再び機会を与えます。実際、私も目にしましたが、多くの学習者が迫害された後、さらに冷静に、理性をもって大法と修煉の厳粛性を認識することができました。同時に、今回の迫害の厳しさをはっきりと認識し、当時のような常人の心を抱いて行動することもなく、これらの心が徐々に放下されたので、彼らの行なったことも、ますます純正になり、良くなり、彼らもますます動揺しなくなり、さらに理性的になりました。この迫害の表面現象だけを見てはいけません。法がこの世にやってくる時に、すべての真相が現れます。中国大陸の弟子は素晴らしいのです。
弟子:二つのことについてお聞きしたいのです。一つは、一部の国外の大法弟子の親族や友人は煉功したことがありますが、迫害されてから次第にやめてしまいました。彼らは今どうするべきかを知りたいと思っています。もう一つですが、一部の精進している弟子に、時に重い病業が現れています。これが自分自身の業力なのか、それとも邪悪の破壊なのかを彼らは知りたいと思っています。また彼らはどのようにこの問題に対処すべきなのでしょうか。
師:一つ目のことですが、どのようにしたいかということは、彼ら自身で決めなければならないことであり、彼ら自身にかかっています。二つ目のことですが、どんなことにぶつかっても、まず自分をみるのです。これが大法弟子の常人と異なっている最も大きなところです。もし、自分に本当に問題がなければ、それはきっと邪悪による大法弟子に対する迫害に違いありません。特に現在、法を正す時期において、大法弟子の業力はすでに問題になりません。邪悪生命による迫害をはっきりと認識しなければならず、彼らは本当に悪事を働いています。大法弟子はできるだけ自分の道を正しく歩み、邪悪に迫害の口実を与えないようにしたほうがいいのです。
弟子:新しい宇宙がどのようなものかを想像してもよいでしょうか?
師:人類にも変化が起こります。ですから、宇宙から人類まで変化が起こるのです。新しい宇宙は旧い宇宙の不健全な各種の要素を健全にし、新宇宙はより完備されます。これは今まで、このような法を正す形式を採らなかったときには、根本的に解決できなかったことです。昔、宇宙がだめになったら、それを解体して造り直し、再び発展させ、だめになったらまた造り直しました。法を正すということは、大穹の天地開闢以来、初めてのことです。ですから、今回の法を正すことを利用して、私は多くのことを変えました。これらは話してはいけないことです。しかし、皆さんに以下のことを教えましょう。なぜなら、人類が宇宙の一部だからです。大法がここで伝えられましたが、昔ここには人類がいませんでした。いくら解体して再び地球を造ったとしても、ここの主体の生命はみな宇宙人の形象でした。毎回、その外観は大きく違っていましたが、人間の外観と内在している系統はなく、ましてや人間の考えもありません。現在の人間は大法を伝えるために造られたのです。大法に罪があるそれらの人が取り除かれた後、残った人々には福があるのです。将来、地球人は本当に人間としての形象を持つようになり、つまり、未来の人類が本当に始まります。今回は大法を伝えるために生命の形式が造られたのです。未来にも佛、道、神が世に下りて人を済度し、衆生も法を聞くことができ、済度されるのです。しかし、神が人を済度しに来たのに、十字架に磔にされるようなことは、もうありません。
弟子:私たちが真相を伝えるときに、一部の歴史上の人物に触れることがありますが、多くのことの因縁関係を知らないので、何か注意すべきことがありますか?
師:法を正す中で、皆さんはただ人間の言葉、人類が普遍的に理解できる論理で法を実証し、人類が現在認識できる良し悪しと是非をもって行えばいいのです。歴史上の誰に言及しても、問題はありません。
弟子:先ほど、師父が大陸の情勢は非常に良いとおっしゃいましたが、それについて例をあげたいと思います。私が接触した親族や友人はほぼ、みな非常に確固としています。天安門に行くとき、堂々と出発し、朝行って、夜帰ってきます。朝の飛行機で行って、夜の便で帰ってきます。「法輪大法は素晴らしい」と叫んだだけでなく、横断幕も掛けましたが、何ごとも起こりませんでした。また、九十歳を超えたお年寄りも、毎日外に出て法を広める活動をしていますが、何ごとも起こりませんでした。いずれにせよ、皆は確固たる信念を持っています。私が知っているところでは、一人だけ連行されましたが、比較的よく対応していたそうです。彼らに電話すると、情勢は非常に良いと感じます。彼らも、「大丈夫、私たちはみな元気ですよ」と言っています。それを聞いて本当に気持ちがいいのです。
師:現在の情況はこのようです。それらの旧い勢力が利用できる邪悪生命はすでに、さほど多くありません。大法弟子が正念を発するのを見ると、すぐに逃げてしまいます。皆さんが領事館に請願に行くとき、領事館の人は非常に恐れているようです。恐れているのは人間ではなく、人間を操っているそれらの邪悪です。人間のところでの現れとしては、彼らは非常に恐れているようにみえます。実は邪悪な要素が怖がっているのです。邪悪がみな根絶され、領事館の人がみな外に出て、法輪功を学びにきたら、中国のあの邪悪な政治の首魁にとって、あまりに恐ろしいことです。ですから、邪悪な生命は懸命に領事館の人を制御し、邪悪が行なったすべてを守っています。それにしても、もう守ることはできません。中国の邪悪な首魁がいる都市以外では、邪悪はすでにすべての地区を制御することができず、邪悪生命はすでに根絶され、残り少ないのです。広範囲にわたる地域では、情勢が良くなっています。皆さんがあの邪悪な首魁に向かって至近距離で正念を発すれば、邪悪の維持が追いつかなくなり、それは気絶してしまいます。なぜなら、それは人間としてのものがすべてなくなり、この皮は完全に邪悪生命によって支えられているからです。正念を発することは、彼らを消滅していることです。もし補充が間に合わなくなったら、それは死んでしまいます。前回、マルタにいた時、学習者が至近距離から正念を発したため、それはもう少しで死ぬところでした。このようなことです。それにはすでに人間としてのものがなく、現在は理性がなく、人間としての正常な考えもありません。それは私たちのために生きており、人間としての理念はますます理性的ではなくなりました。実は、一部の地区の領事館の職員はすでに外に出て、私たちの学習者と接触を始めました。こっそりと資料を受け取った人もいれば、「良くやった!」とひそかに言ってくれた人もいました。(拍手) これは以前には、ありえないことでした。なぜこのようになったのでしょうか? 人間を操っている邪悪が消滅されて、人々が冷静に考え始めたからです。人々は、法輪功が一体どういうものかを自分で考えています。なぜこのように法輪功を迫害するのでしょうか? しかも、暴露された邪悪の迫害やすべての虚言をみて人々は驚き、今はみな積極的に真相を分かろうとしています。
弟子:私は二つの質問があります。私たちは「放光明」というテレビ番組を製作しています。この間、視聴者から私たちのニュース番組が硬すぎると言われました。
師:実はあなたのその口調はとてもいいと私は思っています。(拍手) 階級闘争のような感覚もなく、ほど良いのです。口調があまり柔らかすぎても良くありません。実は、私は多くの地区のテレビ局とラジオ局に、ロサンゼルスの学習者がアナウンスするときの口調がちょうど良いと話しました。硬くもなく柔らかすぎることもなく、とても穏やかです。もちろん、あなたを褒めているのではなく、自慢しないでください。つまり、私たちはできるだけ穏やかにすれば良いということです。常人は何でも言う人がいるので、いろんな味を揃えるのは難しいことです。辛いものが好きな人もいれば、酸っぱいもの、甘いものが好きな人もいます。私たちはこのような穏やかな状態で、人々の前に現れ、このようにします。もちろん、もっと自然になり、リラックスしたほうがいいのです。カメラの前では役者になるので、もうちょっと外観に気をつけたほうがいいと思います。
弟子:もう一つの質問ですが、今、大法の番組以外に、常人の番組も作っていて、その中に大法の内容が入っていません。両方の割合をどのように扱えばいいでしょうか? どれくらいの時間をかけて大法の番組を製作し、大法と関係ない番組をどれくらい入れるべきでしょうか?
師:これは皆さん自身で調整すればよいと思います。具体的なことは皆さんがやらなければなりません。適切だと思えば、検討してその通りにすればよいのです。皆さんが今日、法を実証し真相を伝える中でとった形とそれぞれの方法は、各方面においてみな非常によく行いました。国内に送った一枚のチラシ、一冊の資料、一本の電話やファックス、各種の情報などを軽視しないでください。それらが果たした作用は非常に大きいもので、邪悪を鎮め、根絶するのに巨大な作用を果たし、それは本当に巨大なものです。人間の頭に悪い考えがあるのは、邪悪のでっち上げと宣伝によるものです。人々が分かった時が、すなわちそれらの邪悪が根絶され解体される時です。もし、人間が本当に厖大な天体を代表していれば、その人の変化によって大勢の生命が救い済度されることになります。これはなんと大きな作用でしょうか! 実はこれらのことは非常によく行われました。これらのことを過小評価しないでください。もちろん、具体的にどのように行うのか、尺度は皆さん自身で把握してください。人々に受け入れられるようにすればよいのです。大法の媒体を常人社会の媒体のような形にしたので、常人が受け入れられるような形にしなければなりません。すべて迫害を暴露する文章であれば、かえって、邪悪を暴露し、衆生を救い済度するという最も良い効果を得られなくなります。その対象はなんといっても、修煉者ではないからです。ですから、番組を豊富にし、もっと人々を惹きつけられるようなものにし、人々が見たいようなものにすべきです。同時に、中に大法の内容を織り込みます。このようにすれば、常人に対して果たす作用はもっと大きいのです。それを常人の媒体のような形式にするには、常人の内容がなければなりません。その割合については、皆さん自身で判断してください。適度にすべきです。
弟子:長春の弟子は師父にご挨拶を申し上げます! いつお帰りになり、彼らにお会いになられるでしょうか?
師:もう遠くないと思います。中国の王朝はみなこのように経過してきました。どの時代の皇帝も万歳を唱えていましたが、誰も一万歳になりませんでした。どの王朝も永久不滅になりたかったのですが、永久不滅の王朝はありませんでした。私たちは中国の政権を覆すつもりはなく、このような政治的な要求もありません。私たちは罪もなく迫害されているのであって、私たちを迫害しているあの邪悪な政治集団を暴露しているにすぎません。今回の迫害は、実は中国政府の中の多くの人も反対しています。ただこのような大きな圧力の下で、それを表明する勇気がないだけです。しかし、人間の現れもその人の未来を決めています。大法はすべての人を量っています。繰り返しますが、人類社会は大法のために造られたのであって、人類の歴史上に決して大法と関係のないことが現れることはありません。邪悪な首魁は「共産党は法輪功に勝たなければならない」と言っています。共産党はなぜ、法輪功に勝たなければならないのでしょうか? 全世界の人も不思議に思っています。共産党は中国のすべての軍隊、警察や政府を握っているのに、どうしてその制御下にいる、何の武器も持たない、ただ良い人になろうとしている民衆に勝たなければならないのでしょうか? 全く理性のない話です! 実は、大法が広く伝わるとき、人心は善に向かい、社会は安定しますが、それによって、誰がその恩恵を受けるのでしょうか? 誰が政権を握っているのでしょうか? これは理性がないのではありませんか? 私たちは政権に興味はありません。実は迫害が始まる前まで、中国共産党中央政治局の七人の常任委員の家族はみな、法輪功を煉っており、七人の常任委員も全員大法の本を読みました。法輪功がどういうものか、彼らははっきり分かっています。政治闘争の中で形成した嫉妬心、日常的に形成された人と争う悪習により、理性を失わせ、人を許す余裕は皆無になってしまいました。この邪悪な首魁は心が狭く、欲望が大きく、臆病者で、嫉妬心がこの上なく強いのです。国を治めることに全く不案内で、まともなことをする能力は、地方部門の小さな係長にも及びません。理性を失ったとき、魔と変わりはありません。その元神はまたヒキガエルなのです。このような人はなかなか見つかりません! この世は芝居のようで、この役をどこで探せばいいでしょうか? 歴史上、長い時間をかけて、やっと見つけたのです!(拍手) 旧勢力はそれがすぐに地獄に堕ちてほしくありません。それらが言うには、このような者はもう二度と見つからないからです。