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ワシントンDC国際法会での説法

李 洪 志

二〇〇一年七月二十一日



 皆さん、こんにちは! 皆さん、ご苦労様でした!

 修煉について、皆さんは現在その難しさを感じているかもしれません。難しいからこそ、修煉して成就することができるのです。歴史上、今まで多くの人は道を求め、みな修煉したいと思い、圓満成就しようと思い、人間の輪廻と生死から超越しようと思いましたが、これらはみな大変難しかったのです。もし困難に満ちた修煉の中で、常人社会で生じた各種の心を取り除かなければ、絶対に圓満成就はできません。ですから、現在のこの魔難の中で、大法弟子の現れややり遂げたことは素晴らしいことであり、修煉者の真実の体現です。絶対多数の弟子はこのような邪悪な環境にあって、表に出て法を実証し、圓満成就に向かうことができ、これは本当に素晴らしいことです。

 歴史上、いかなる修煉方法も今日のものほど壮観ではありませんでした。なぜなら、歴史上のどのような修煉方法もこのように広範にわたって本当に人を済度することはできないからです。しかし、私たちが存在している歴史的な時刻は、ただ師父が人を済度するという簡単なものではなく、宇宙天体全体で法を正している時期なのです。神たちも世のこの一刻を注視しています。人類社会の歴史がある時期に到ると、天上の神々も一新され、天体まで組み直されると、世の多くの予言書の中で言及されています。歴史上の各種の予言や、世界中に伝わっている各種の物語は、いずれも今日の人々が置かれている歴史の時刻を反映しています。つまり、今日の人類社会の各種の現れは、すべて偶然ではありません。修煉者として、私たちが置かれたのは歴史上のまさにこの一刻なのです。法を正すことと修煉において、皆さんはほぼ自分の道を正しく歩んできました。

 宇宙中の生命が法から逸脱する過程で、生命はすでに法の存在、および異なる次元における生命に対する法の本当の要求が分からなくなりました。そのため、今日のような法を正すという重大な出来事を前にして、多くは自分や法、大法弟子、私との関係を正しく扱うことができていません。実は衆生を操り、法を正すことを左右しているその旧い勢力こそ、法を正す上での本当の障碍です。宇宙の生命は数え切れないほど多いのです。これほど多くの生命ですが、皆さん考えてください。法を正す中で、それぞれの生命がみな、彼らの良くない一面を現したならば、これほど多くの生命は法に対して極めて大きな罪を犯すことになり、淘汰されてしまいます。それでは衆生は済度されなくなるのではありませんか? 法を正すことは無駄になってしまうのではありませんか? ですから、私は逆に旧い勢力の按排を利用しているのだ、と昔話したことがあります。この邪悪な勢力は、上から下まで貫き、一つの次元も漏れることなく法を正すことを妨害しているからです。これは、まさに各次元の生命が腐敗堕落した後の姿を集中的に現しています。すなわち、一切の生命の腐敗堕落、一切の生命が法を正す時期に現した良くない状態は、法を正すことを左右している旧い勢力の系統に集中的に現れています。彼らの按排を妨害しないように、その他の各次元にいる大勢の生命は法を正すことに参与してはいけないと按排されました。これもちょうど私が望んでいることであり、それらの衆生が法に対して直接罪を犯さなければ済度され得るからです。それらは自分の按排が巧みだと思っていますが、実は私に掌握されています。この系統に加わったのは、まさに宇宙から淘汰されるべき生命であり、最も悪く最も良くない生命であり、それらは各次元で最も良くない認識と行為を集中的に現しました。この時期の衆生がやりかねないことは、まさに法を正す過程で徹底的に現れてきました。そのため、法を正す中で本当に取り除くべきものは、これらの良くない現れそのものです。旧勢力の生命に対して、法を正すことを左右したり、極めて良くないことをしたとしても、再三にわたって機会を与えましたが、どうしても救いようがなくなったので、初めて徹底的に取り除くことにしました。法を正すことを妨害することに参与していない他の各次元の生命は、歴史上いくら悪くなったとしても、法を正すこのことに参与せず、破壊しなければ、救われる望みがあり、このような生命は絶対多数を占めています。

 このことは旧勢力に妨害されるということが当初から私には分かっていました。順序のないように見えますが、実は非常に順序よく組み立てられています。この世で学習者が受けた各種の魔難と試練も、紛れもなくこの旧勢力に按排されたものです。学習者が耐えている魔難は、学習者自身の業力によるものだけではなく、人類が大法にもたらした障碍でもありません。人間にはその能力はありません。常人は修煉者の前では非常に脆弱なものです。今日の人間は、実は異なる次元の旧勢力の系統に按排された魔難を受けており、異なる次元の旧勢力に制御されているため、非常に手ごわくなり、彼らはあえて修煉者に手を下し、大法に対して不敬なことをしました。この中からまたもう一つの問題が現れました。この世には邪悪な徒以外にも多くの無辜の人々がおり、彼らは天地を覆い尽くすような誹謗中傷の宣伝によって欺かれました。宇宙の法理によって量ると、頭の中に大法に対して良くない考えを入れられた人は、大法や大法弟子に対する試練が終わるとき、淘汰されてしまいます。皆さん、考えてみてください。このような人は危険ではありませんか? なぜならば、彼が直接反対しているのはこの法だからです。この旧い勢力は、歴史のこの期間を利用して、この世のこの環境で極めて邪悪な局面を作り出すため、万策を尽くして、真相を伝えられる国内外の一切の宣伝媒体を封鎖しました。大法弟子に加えた迫害の中で、政治闘争から培った経験や、古今東西のすべての邪悪な手段を行使し尽くして、同時にずる賢さ、腹黒さなど中国人が幾千年来形成してきた良くないものを利用して、極めて陰険な手段を採りました。ですから、弾圧当初、多くの世の人は虚言に欺かれました。正法修煉者として、これらの無辜の生命が虚言によって罪深い境地に連れ込まれ消滅されるのを見て、手をこまねいているわけにはいきません。なぜならば、この出来事が一旦終わったとき、次の人類の歴史が始まり、多くの良くない生命が淘汰されてしまうからです。宇宙全体はいくら厖大であっても、みな宇宙のこの法によって造成されたもので、各次元の生命はみな、その次元の法理に符合しており、すべての最も根本的な物質の本源まで、この法によって造成されています。ある生命がこの宇宙のすべての生命を造成した法にまで反対するのであれば、どこへ行くのでしょうか? それは淘汰されることにならないでしょうか? 大法弟子はこの期間に、大法を実証しながら真相を伝えることによって、確かに大勢の世の人を救いました。弟子たちは自分自身がひどく迫害されている情況下で、まだ真相を伝え、衆生を救っていますが、これは大いなる慈悲ではありませんか? 大法弟子として、どんな環境においても衆生への慈悲を表すべきです。他の角度からいえば、大法弟子は自分自身がこのように迫害されている環境でもまだ衆生を救っており、さらに大法弟子の偉大さを顕しています。

 真相を伝えることは簡単なことではなく、単に邪悪を暴露するだけのことではありません。真相を伝えることは衆生を救っているということであり、同時に皆さんの修煉における個人の向上と執着を取り除くこと、さらに大法弟子が修煉の中で法に責任を負うこと、同時に最後の圓満成就に向かう過程で、いかに自分の世界を豊かにするかなどの要素も含まれています。もしあなたが将来圓満成就できる大覚者であれば、あなたの空間内、あなた自身の世界の範囲の中に、衆生がいなくてはいけません。ですから、修煉の過程にあって、どのようにあなたの慈悲を表し、衆生を救い済度し、あなたの世界を充実させるかという問題があります。法を正す中で、私は旧勢力が法を正すことを左右しているのを打ち破っているのと同時に、皆さんのことを按排しています。とても邪悪で乱れているように見えますが、実はみな非常に順序よく按排されています。旧勢力は順序よく按排しましたが、私も順序よく行なっています。いずれにせよ、最終的にこれらの問題を解決する方法があります。この期間、我々がどのようにこの機会を利用して、本当に修煉者としての素晴らしく、偉大な威徳を体現できるのも、実に得難い機会です。邪悪な旧い勢力が私たちに彼らを根絶する機会をどうしても与えようとするのなら、それを充分生かしましょう。歴史上このようなことはありませんでしたが、これもまたとても得難いことと言えます。

 修煉者にとって、邪悪の場がない環境や、今日のような正の場で生死を放棄すると口にすることは、いかなる圧力もないため、非常に気楽なものです。もし邪悪な環境、邪悪な要素が充満している環境の中で、あなたが再び法を実証し、勇気を持って表に出て邪悪を暴露することができれば、それは別のこととなります。このような環境は、非常に邪悪ですが、皆さんそれは非常に得難いのではありませんか? 本当に得難いのです。この時期が過ぎてしまえば、このような機会もありません。大法弟子であるからこそ、皆さんはこのような機会とめぐり合えましたが、過去における一般的な修煉、あるいは個人の修煉にはこのようなことはありませんでした。もちろん歴史上、イエスや釈迦牟尼も同様に大きな魔難に遭いました。当時、彼らに向かってやってきた魔難も歴史上相当邪悪なものでしたが、今日のような近代化された世論を利用して、天地を覆い隠すかのように全世界という広い範囲にわたって邪悪を作りだすことなど、これまでなかったことです。邪悪の巨大さは九九年の「七・二〇」に始まった時は、天まで崩壊したかのようでした。中国大陸以外では大法弟子を除いて、法輪功がどんなものであるのかを知っている人は少なく、各国政府とマスコミはすべて中国大陸のマスコミからの事実に反する宣伝を聞き入れました。中国のデマの宣伝を真に受けてしまったので、人々はみな、私たちに良くない印象を抱いてしまったのです。今日になってどうして皆さんは環境が楽になったと感じたのでしょうか? 皆さんが真相を伝える中で、世の人々、マスコミ、各国政府に対して私たちが被っている迫害の真相を伝えること、皆さんの常人社会での善良さと慈悲、および大法弟子としての正なる現れは、世の人々に認められ、神に認められたので、今日の環境を得るに到ったのです。素晴らしい、本当に素晴らしいです。皆さんは、最も下劣で最も邪悪な徒が操っている巨大な政府と国家宣伝機関の誹謗中傷の宣伝に耐え切ることができました。大法の進展について来られたすべての大法弟子はみな、行うべきことを行いました。いまだに家にこもって表に出て来ないのにまだ自分が修煉していると思っている人は、比べてみればどうしてそれが修煉と言えますか? もちろん、人心というものは、常人社会の中でさまざまな表れ方があるもので、大法を学んだ人が誤った道に入ったのは放下できない執着があるためで、それらの執着は必ず邪悪な生命に制御され、利用されるのです。邪悪な生命は専らあなたの執着している考えに目をつけ、それを強化し、制御できるようにするという目的を達成させ、本人は魔に利用された後に現れた邪な悟りが理に適っていると思い、法から都合の良い部分だけ取り上げて、自己弁護のための理由を探しています。

 現在、法を正していること全体から見ると、宇宙天体全体の変化は非常に大きいものです。厖大な新しい宇宙天体はとてつもなく大きく、かつてないほど美しく、法を正すことはすでに最後の最後になりました。天体の体系は非常に厖大で、大きさは不可思議なほどですが、これほど大きな体系もやはり幾千万のこのような厖大な体系から構成されています。そうですね、その構造は、私がすでに常人の言葉でこれ以上言い表すことができず、形容のしようがありません。まさに、そうなのです。ですが、皆さんは自分を軽視しないでください。将来、圓満成就で皆さんを待っているのは、非常に偉大な境地であるかもしれません。(拍手)

 それぞれの大法弟子にとって、真相を伝えることは必ずしなければならないことです。この点について皆さんにもう一度言っておきますが、あらゆる弁解、表に出たことのない人はみな間違っています。この魔難があとどれくらいあるかということにいたっては、私が思うに、皆さんはあまり考えない方がよいでしょう。自分が圓満成就できるかどうかも考えないでください。あなたのいかなる心も執着になり、邪悪に利用されかねないからです。念が生じた途端、邪悪があなたに偽の現象を演化するかもしれませんが、その時、それは一種の妨害となります。今という時間は大切に使わなければならず、この時間は弟子たちに残したものです。皆さんは、修煉し、法を正し、自らを圓満成就に向かわせていると同時に、また衆生も救っており、皆さんが未来のための一切を切り開いていることになるのです。大法弟子が今日行なったすべてのことは非常に重要であり、正しく歩んだ道も将来の生命の参照となり得るものです。同時に、人類社会においても人類に未来の生存方式の基礎を築きました。皆さんが知っているように、正見ネットに現れたのは未来の人類の新しい観念です。これらは新人類の未来の思想と正しい見識、大法弟子が法を正す期間に表した状態や慈悲、善良、純正、そして大いなる忍を代表し、将来の社会に影響を与えています。大法弟子がこの時期に修煉するという過程以外にも、将来、未来の人がまた法を得るという過程がありますが、このことは二段階に分けて行なっています。当初、旧勢力が按排したのは前後二十年であり、法を正す時期と、法がこの世を正す時期に分けられます。前半十年は、師父は法を正し、大法弟子は法を正す期間に修煉します。後半十年は、未来の人が法を得ることになっており、それからは新しい世紀に入り、その時、いよいよ新しい未来が始まるのです。しかし、私がこのことを明らかにしたのは、これらの情況がみな変化したからです。しかし、変化してもたいした違いはありません。これを聞いて喜んではいけません。特によく行なっていない人は時間の緊迫性を認識しなければならず、他のどんなことも考えないでください。私たちが行なったすべては将来のために責任を負うものでなければならず、同時に未来の人は私たちが真相を伝えることによって確かに救われました。特に中国大陸以外の人々に現れた、大法への理解と支持は、彼らが法を得、未来の人類社会に入るための良い基礎を築いたのです。

 人間は意味もなくこの世に来たのではありません。なぜなら過去に、地球のこの環境には今日のこのような人類はいなかったからです。皆さんが知っているように、私はいつも宇宙人の話をしていますが、なぜ宇宙人の話をする必要があるのでしょうか? それは宇宙人こそが昔の地球の環境にいた本当の人であり、彼らこそ歴史上の異なる時期、ひいてはさらに遥か遠い歴史においてもここの主だったからです。地球が何回取り替えられても、各回の地球にいた生命は、人としての形象がみな異なり、顔も違い、差異もとても大きかったのですが、彼らはみな、ここの主でした。それではなぜ今回のわれわれ人類の形象はこのようになったのでしょうか? 宇宙の法は将来、ここで伝えられるとみな知っているので、歴史上遥か遠い昔から、将来大法が伝わるための一切の基礎を築いてきたのです。動物のようなものに法を聞かせてはならず、それは大法に対する侮辱であるため、神は自分の形象をなぞって今日の人間を造りました。西洋の宗教では、エホバが自分の形象を模倣して人間を造ったという話が知られていますが、東方の人は女媧が自分の形象を真似て人間を造ったという話を知っています。また他の神は他の人間を造りました。昔、地球という環境にいる人間を神の姿かたちに造ったら、それは神に対する侮辱であり、神に対する最大の不敬なので、この場所の人間を神の形象で造ってはなりませんでした。今日の人間が神の形象で造られているにもかかわらず、人間の生活方式が神のものとは全く異なるため、神は人間を同類とみなすことを拒んでいます。人間の姿かたち、形象だけは神と似ています。それだけではありません。歴史上、どうして中国というところの文化と文明は他のところとあのように大きく異なっていたのでしょうか? あらゆる地域の国はみな、国家という概念を持っており、あらゆる地域の民族の主領はみな、国王という概念でしたが、中国は歴史上、国という概念はなく、王朝という形で現れており、しかも歴史上、中国の皇帝も他の国の王とはかなり異なっています。実は、これらの文化の基礎を築いたと同時に、絶えず宇宙の衆生と縁を結んでいたのです。歴史上のそれぞれの時期に異なる天国世界の衆生が中国地域に縁を結びに来ており、彼らは彼らの宇宙体系を代表しています。大法の学習者も異なる宇宙体系から来ています。異なる次元で輪廻転生するとき、それは異なる次元での生命の過程です。根本的には、遥か遠い天体に由来しています。皆さんも知っているように、「君主が代わると臣下も代わる」という言葉がありますが、それは人間が言っていることです。それだけにとどまらず、君主が代わると臣下も代わり、天人が変わると民も文化も変わり、服飾も変わります。昔、王朝が変わり時代が変わると、文化にはすぐ変化が生じ、服飾における差異も非常に大きかったのです。これらはみな、異なる次元の生命が持ってきたものであり、中国というところの文化、あるいは衣食住、生活方式、諸々の方面まで、他の地方とかなり異なっています。なぜなら、それは多くの様々な体系の生命が人類にもたらした文化を蓄積したものだからです。そのため、長く続くうちに中国のこの場所ではこれほど多くの人を収容しきれなくなったので、縁を結んだ後、来世にほかの地区へ転生することになったのです。

 以前に私が説いたように、世界のあらゆる国は偶然にこの世界に存在しているわけではなく、みな存在の意義と目的があるのです。実は人々はみな、法を待っています。非常に多くの学習者が深く感じていると思いますが、つまり一部の人は法に出会ったとき、「私は生涯これを探していました」または「これこそ私が求めていたものです」と言いました。他の衆生はなぜ現段階ですぐに法を得ることができないのでしょうか? 彼らはこの方面で抑制されているからです。現在、彼らが入ってこられないのは、一旦彼らが入ってくると、彼ら自身の業力および彼らが社会で作った様々な複雑な要素、それらの負の一面のものも一緒についてくることによって、第一段階の法を正すことを難しくしてしまうので、現在は入ってこさせることができません。しかし、法を正し真相を伝えることは皆さんが必ず行わなければならないことであり、皆さんが行う過程で、彼らも煉功し、法も学び、深く入ってはいませんが、すでに未来に法を得るための基礎を築いたのであり、ゆえに必ず行わなければなりません。つまり、多くの情況で、皆さんに教えますが理由がないことはなく、この世のいかなることもこの大法のために来ており、すべては大法のために成り立ち、大法のために造られたのです。私が皆さんに説いた多くの法理、皆さんに説いた多くの真の天機は、過去において神すら知るものではなく、それを聞いた彼らはみな「はっ」と悟りました。なぜなら、彼らの境地が彼らよりさらに高い次元、さらに遠い歴史時期に対する認識を制限していたからです。修めた高さによって、その高さの理、その高さの宇宙の真相を悟るからです。ですから、現在のこの世界で、私たちは他の衆生に対して責任を負わなければならず、他の衆生が将来法を得るために責任を負わなければならず、他の衆生が将来法を得るために基礎を築かなければならないのは、彼らが恐らくあなたたちの体系の中の生命だからです。中国というところで法を伝えるため、また普通の人に法を聞かせないようにするため、非常に多くの各世界の王と非常に高い次元の生命が、集中的に中国の地に転生しました。その中には歴史上に私が見守りつづけてきた多くの人も含みます。もちろん、私が見守ってきた人とそうではない人が、今日法を得るということについては、同じように対処しています。ですから、そこにいる人をもっと救うべきです。天地を覆い隠すかのような邪悪な宣伝の中で、それらの人の現れはもはや普通の犯罪に収まらず、一部の人にはすでに消滅が運命付けられています。その人たちがどこから来たのか、どんな縁があるのか、どれほど高い次元なのかにかかわらず、一つの生命としてとても惜しいことではありませんか? 仕方がありません。師父が慈悲深くないということではなく、法を正す中で異なる次元の生命はみな、位置を決め直しており、慈悲深いかどうか、人を済度するかしないかという問題ではありません。一つの生命の位置はその心性の高さによって決められます。これは基準であり、法理であり、未来のために定めたのであって、打ち破ってはならず、恣意的に破壊してはいけないのです。

 真相を伝えている中で、国外の大法弟子が行なったすべて、現れたすべては、同様に素晴らしいのであって、偉大な壮挙です。修煉の次元と圓満成就に向かうということにおいて、皆さんと国内の学習者にはいかなる差異もなく、あなたがここで法を得て、修煉するように按排しているのです。非常に多くの弟子が非常に高い学歴を持っており、国外の弟子にあっては高学歴の人が絶対多数を占めています。なぜそうなのでしょうか? この肝心な時期に、常人の中で身につけた知識を十分発揮させ、大法が昔、世の人々のために造った常人の技能を利用して、法を実証させるためです。実践において、皆さんは非常によく行いました。私が明慧ネット、新生ネット、およびほかのところで掲載された大法弟子の文章を読んでみると、中に傑作とも言える文章があります。しっかりした論理と論拠があって、思考も明晰であり、論理性も高く、本当に邪を鎮める作用があり、しかも非常にレベルが高いのです。現在の判断基準で量ると、私は中国大陸のそれらの誹謗中傷を散布するマスコミはレベルが低いと思います。「政府にはすでに有能な者がいなくなった」と言う学習者がいますが、確かにそうだと思います。邪悪なデマや、悪質な誹謗中傷のために力を尽くす有能な者はいるのでしょうか? 大法弟子として私たちは行うべきことを充分に現しています。これは皆さんの責任であり、法を正す時期の大法弟子が行うべきことであり、しかも皆さんも非常によく行なっています。国内の学習者は魔難に遭い、迫害に耐えるという苦しい情況の下でも衆生に真相を伝えており、これは大覚者が誕生する前の壮挙を現しているのです。時に正見ネットを見ていると、新しい生命、新しい人類が確かに現在から始まっていると感じます。なぜならば、皆さんの認識はすでに新しい歴史時期における、最も正しい生命としての認識に突入したからです。大法弟子は人類のために未来を築いています。

 大法弟子が迫害されている中に非常に邪悪な要素があり、つまり旧い勢力ですが、彼らは学習者が圓満成就し、法を正す弟子になることを非常に不平に思っており、自分は法を正す弟子になることができないのに、学習者はあまりにも簡単に手に入れたと思っています。このために、彼らは邪悪を操り、悪人を利用して学習者を殴り、「修煉をやめる」と言うまで学習者を殴りました。これは邪悪ではありませんか? 神としてこのようなことをしていいのでしょうか? 宇宙は法を正す中にあって、各次元の生命で淘汰される数は非常に大きなものです。圓満成就する人の数は、まだまだ足りないと思います。元々、私は最低五千万と予定しましたが、これは今まで皆さんに話したことのないことです。(拍手) 今はこの数字に到達することができませんが、数はすでに相当多いのです。いずれにせよ、一人の修煉者として、何を聞いたとしても、歓喜心を起こさないでください。師父がこの話をすること自体が皆さんにとって試練かもしれません。いかなる心も放下し、何も考えず、ただ大法弟子として行うべきすべてを行えば、すべてはすでにその中にあります。邪悪がいくら悪辣であっても、今はすでに万策が尽きてしまっており、ただ誹謗中傷はますますエスカレートし、絶えず世論を起こしてデマを作っているだけです。異常な心理に動かされ、ひたすら学習者に懺悔書や署名をさせています。彼らもそれが偽りのものであり、人の心を変えることなどできないと分かっているのに、なぜどうしてもそうしなければならないのでしょうか? なぜどうしても署名させなければならないのでしょうか? なぜ、どうしても「修煉をやめる」と言わせて、そうして初めて人を釈放するのでしょうか? 「修煉する」と言えば刑罰を科せられますが、「修煉をやめる」と言えばすぐ釈放します。この差もあまりに大きいのではありませんか? これは正常でしょうか? 正常ではありません。それは明らかではありませんか? すなわち、あなたを落とし、あなたに修煉をやめると言わせています。言ってしまえば、たとえそれが不本意であっても、汚点となり、大法弟子としてこれは恥なのです。もし大法を損なうようなことをして、これから法を正す過程で真にこのすべてを補えず、大法にもたらした損失を挽回できなければ、それでは本当に大変なことになります。できるかどうかは一念にかかっており、表に出て法を実証することができるかどうかは、多勢の勢いに乗じればできることではありません。天安門広場で待って、他の人たちが出てきたら私も出ようと思いましたが、大勢の人が出てこなかったのを見て、一回りして帰ってしまった人もいます。他の人たちが出てきたときにその勢いに乗じてあなたも出てきたということは、あなたが生死という心を放下して出てきたということではありません。修煉は個人のことであり、皆で一緒にするものはなく、各自の向上は必ずしっかりとしたものでなければなりません。もちろん、国外の学習者は必ずしも天安門に行く必要があるとは限りません。もし、みな行ってしまえば、国外で法を正すことをする人はいなくなります。これはすべて歴史上の按排です。

 皆さんは一つの全体をなしており、まさに師父の功のようです。もちろん皆さんは功とは別のことですが、ただ喩えに使っているだけです。まさに私の功のように、同時に各種のことを行なっています。厖大な宇宙の中を絶えずミクロへ、さらに高くさらに広いところへ巨大な勢いで突進しているものもあり、その勢いは非常に壮大で、速度は非常に速く、すべての時間を超越して大穹を正しています。またこの勢いが過ぎ去ってから、異なる次元の生命の罪業を滅し、生命の各次元で縦横に絡み合っているすべての関係の均衡を保っているものもあり、生命を同化させるもの、生命の位置を配置し直しているものもあります。さらに生命の最もミクロなところや各次元において、みなそれぞれ違うことを行なっているもの、次元の低い空間で行なっているもの、学習者を保護するもの、邪悪を根絶するものもあり、各方面の功はみな、このように行なっています。つまり一つの全体として、みな同じことをやらなければならないということではありません。しかし、どんなことを行うにしても、大法弟子の称号に相応しいものでなければなりません。

 今日はここまでにします。皆さんが体験を語ることも非常に重要なことです。いかなる環境においても、いかなる時期においても、仕事がいくら忙しくても法を学ぶことをおろそかにしてはならず、これは皆さんが向上し、圓満成就するための最も根本的な保障です。法を学ばずに大法のことをしてはならず、それでは常人が大法の仕事をしていることになってしまいます。必ず大法弟子が大法の仕事をしなければならず、皆さんに対してこのように要求するのです。常人が大法の仕事を手伝ってくれれば、それはもちろん良いことですが、私がここで指しているのは大法弟子のことで、必ず大法弟子が大法の仕事をしなければなりません。なぜならば、皆さんの圓満成就は主要なことであり、現在の皆さんにとって、皆さんの圓満成就こそが第一位だからです。もちろん皆さんの圓満成就には、皆さんが大法のために責任を負うこと、衆生を普く済度することも含まれています。皆さんに教えますが、皆さんは師父が衆生を普く済度しているのだと言っていますが、皆さんが圓満成就してから振り返ってみると、当時、皆さんが済度した衆生が見えてきます。真相を伝える中で、皆さんはすなわち衆生を済度しているのです。

 今日はこれくらいにしておきます。どうぞ交流会を続けてください。